(む}Farther father

Date: Mon, 25 Jun 2001

もう過ぎてしまったのでなんなんだが、6月の第3日曜日は「父の日」である。辞書によると「父に感謝をささげる日。アメリカのJ.B.ドット夫人の提唱により、1910年に始まった」ドット夫人が、旦那さんにささげたのか、父親にささげたのか、その辺りまではよく知らない。

結婚して子供がいようがいまいが、相方の人を「お父さん」「お母さん」という呼び方をする人が、しばしばいる。少なくとも男の人の方が多い気がする、いやまぁ、女の人についてはあんまり実例を知らないだけかもしれん。相手に、自分の親のイメージを重ねる人が多いということだろうか?

で、さて、私は父の日に特別これといって何もしていない。なぜなら、5月の第2日曜日の母の日には、何もしなかったから、ここで、突然、何か贈り物などしたら、母が拗ねるのが目に見えているからである。なら、どちらも何かすれば良いではないか。と言われるかもしれないが、なんだか、私は、何もしないのである。

こんな私を育てるために何年もご苦労さまであったなぁ。とは、思っている。たぶん、両親の失敗は、「親にちゃんと感謝するように」という情操教育の刷り込みを怠ったことであろう。だから私は、情緒的反応によって感謝するのでなく、状況から事務的論理的に「ここはひょっとすると、感謝の意を表するところなのではないか」などと類推する羽目になるのである。そんなことだから、こないだ大雨が降った時に「そっちは、どないね」と電話したら、「あんたも、ずいぶんやさしくなったなぁ」などと言われるのである。おう、どうせ俺は冷たいわい。

いや、むこうが歳を取って弱ってるので、そう思っただけかもしれない。父はたしか、正月に還暦の祝いとやらで、田舎に帰ってたから、そろそろ、60歳である。「自営業やから、ボーナスも有給休暇も定年もないしな」などととぼけたことを言っている。

バレンタインデーはチョコレート業界の陰謀であるし、土用の丑の日はうなぎ屋の陰謀である。毎月23日は「ふみの日」で郵便局の陰謀であるし、母の日のカーネーションは花屋の陰謀に違いない。ん?では、父の日はなんだ。

私は、密かに、もしや、これは「作務衣」業界(そんな業界あるか?)の陰謀なのではないかという疑いを持っている。なんでかスーパーやらショッピングセンターやら行くと、作務衣を売っているコーナーに出くわすからである。なお、念のために書いておくが、「作務衣」は「さむえ」と読む。「さむい」のは私の冗談である。作務衣はそもそも禅寺の坊さんの作業着である。

カーネーションの花は、間違いなく、来年の母の日を待たずに枯れるが、作務衣が来年の父の日までに朽ちるかと言うと、そうも思えない。なのに、毎年、作務衣が売られているのは、おそらく、毎年、あらたな、お父さんが生産されているからに違いない。私は危うく、お父さんでもないのに、自分用に買いかけたが、「贈り物ですか?」などと聞かれて、「は、はい」なんて答えて、ラッピングされる恐れがあったため財布の口をしめた。

お店の壁には、お子様が描かれたと思われる、お父さんの似顔絵が展示されていた。「はて?母の日にもお母さんの似顔絵って展示してたっけか?ひょっとして、父の日の方が似顔絵展示率高いのではないか?それにしても、みなさん、どこで、このマンガみたいな笑顔表現の目(^^)を身につけたのだろうか。やはりマンガやアニメ見てだろうか」などと鑑賞しつつ、、、

ぼくは、保育園児の頃、父親の似顔絵を描くのに、顔を茶色のクレヨンを使ったことがある。地が黒い上に働き者で日焼けが激しい父は十円玉のような赤銅色の肌をしていたからである。先生には「よく描けましたね」と褒められたが、父は「わし、こんな色か?」と少し凹んだという。

その父は、私が生まれる時に「ぼく、色黒いし、敬子ちゃん色白いから、子供はブチで生まれるわ」と冗談を言ったら、祖母は、真顔で、母に「どうしよう、達くんが、子供がブチになるって言うとった」と心配して話したという。

まぁ、その祖母も、赤黒い肌に紫かかった唇の父を見て、母に、「あんた、結婚するのやめとき、達男くん、絶対、肝臓悪いて。長くないで。」と言っていたそうだから、どっちもどっちである。おそらく、調べれば肝臓は良くないだろうが、煙草をスパスパ吸って、ビールをガバガバ飲んで、未だに現役で牛乳屋家業を営んでいる。

あんまりスパスパ吸うので、「なんで吸いはじめたん?」と聞いたら、「タバコ吸うのが大人だと思ってたし。」とトボけた回答が帰ってきた。じゃぁ、なんで私は、ガバガバ飲むのか。別に飲むのが大人だとは思っていないのだけど。時折、実家に帰って、ヤニで黄色くなった壁やふすまに囲まれて、紫色の靄がかかったような居間で、「お前、飲み過ぎや」と言われると、「あんたが言うか」と思う。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『天才アラーキー写真ノ方法』荒木経惟(集英社新書,740円+税)なんか、こう、全身写真家って感じだねぇ。撮ることが生きることなんだね。
当時の世 梅雨でジメジメ。汗の滝で溺れそうである。
当時の私 時折、突然、腹を立ててみたり、説明がくどいわりに、何を言いたいか分かりづらいあたり、父に似てきたかと思う。前髪の生え際の後退も父に似てるかもしれない。でも、まだ、「そこのあれ、あれしといてくれるか」みたいなことは言ってないつもり。

目次へ戻る