(む}Do you wanna make me married?

Date: Mon, 01 Oct 2001

さて、みなさん、こんにちは、彼女いない歴約31.5年のMucci Texiです。

月一くらいで実家から電話がかかってきます。ほとんど父からです。 うちの電話線を人の声が通るのは、実家からの電話か、謎の勧誘電話だけなので、マイラインなんてどうでもよさげであります。なんか近いうちに 登録が有料になるとかで、みかかの手の者から勧誘の封書が届いてます。

電話に出ると、父はひとしきり不景気話をして、母に代わろうとします。多分、間が持たないのです。きっと、彼は「元気そうやな。」の一言を言いたいだけなのです。私の調子が良かろうが、悪かろうが関係ないのです。「お母さんに代わるわな。」母は、彼女で、電話口に出るたびに「ええ人おらんの?」と言います。果して、母にとって、父が『ええ人』だったのか、謎のままなのですが、ま、彼と彼女が結婚して子をなしたから私がいるというのは確かなようです。私で懲りなかったのか、弟もいます。

結婚して家庭を築いている同世代の人に聞くと、結婚したり、子をなしたりするのが、当然の道筋のような言い方をする人が結構います。そういう話を聞くと、ぼくは、その辺りの思考が自然に繋がらないので、脳味噌の回路がどこか繋がり間違ってるのかしら?という気が、少しします。でも、人は人。ぼくはぼく。と思ったりします。これは親の教育のたまものです。よその子が持っているおもちゃを欲しいと言ったら、「よそはよそ、うちはうち。」と言われた記憶があります。

たぶん、昔は、結婚しないと、生活が成り立たなかったのではないかと思えます。一人分の食事を作るってのは、はなはだ効率の悪いって感じがするし、いざ家族が多くなると、それはそれで家事もたくさんあって大変だったのだろうし、社会にそれほど、便利な設備はなかったのだろうし。私は料理をしませんが、少し歩けば、コンビニがあります。一人分の料理を作るのと、数百メートル歩く手間とどっちを取るかと言われると、私は多少、歩くのが苦にならない人なので(先日5時間ほど歩きました)、歩きます。

しかし、食事をいっしょに作るために結婚するわけじゃないし、というか、すくなくとも現代は、生活の必然として結婚する必要がなくなっている。という気がします。たぶん、以前は、結婚することが、成人が暮らす上で必然の当然の必須条件だったのじゃなかろうか。なんて思うわけです。

じゃ、私は非婚主義の人かと言われると、そういうわけでもないわけで。だからと言って、「結婚したくない」とか「いずれ、結婚しなくちゃ」ってわけでもないわけで、あいまいな関係よりは結婚した方が、法律的にも有利なんだろうし、公にした方が認められた感があるのだろうし。

事実婚にしたって、友達たち(複数形の重複で変だね。)に、祝福されたいっていう自意識なのではないかと思ってます(なんていう、ことを書く前に俺、友達いないや。って書くと、俺のこと、友達だと思ってる人に叱られるかな)。けなしてるのではなくて、実際、なによりも、祝福が必要なんではないかと思います。でも、披露宴に招待されても、ああいう場の空間が苦手な私は、しばしば失礼して欠席してしまいます。

子供のことを考える。子供を育てるというユニットとして「家族」を考えるにしても、今では「結婚」と「家族」が直結してない場合だってある。「子供」って単語も、「友達」という単語と同じく、あらかじめ複数形だ。一人っ子でも子供だ。では、DINKSな夫婦はどうなのだ。そこで、「いろいろな形態があってもいい」という、当たり障りのないというか、「そんなのは結論とは言わない」という結びに行き着く。安易にDNA理論に持っていくのはナニだけど、たしかに生物として、子を育てるのは自然な形だと言える。ただ、人は、自然に自然なことができない特殊な生き物でもある。

たぶん、ぼくは小賢しい小学生のレベルからなにも進歩してないのだと思う。結婚どころか、お付き合いどころか、好きと言うことさえ至難の技だ。親にさえ「ついていかれへんわ」とか「育て方まちがったんかなぁ」と言われる私だ。私の相手をするのはたぶん、すごく面倒なのだ。親はまだ子育ての義務感で面倒見たかもしれないが、そんな私の相手を、自分の好きな人にさせようというのは、なんだかすごく申し訳ないような気がするのだ。

その母が電話口で言う「彼女、作りなさいな。」作るじゃことの人をモノみたいに言いやがって。30過ぎてもまだ反抗期を解決していないらしい私だ。ずっと私の親をやっておいて、しつこく同じことを言うと、かえって嫌がってやらなくなるという私の基本性向を未だ分かってない母である。

近所に住んでいた幼なじみの子(子っても同級生の男の子だから俺と同い年だが)が、こないだ結婚するとかで、その両親が、うれしそうなのを見てたら、「なんかうらやましくて、むかつく。」などと今時の若い子みたいに簡単に「むかつく」という言葉を使う母に、「それは、あんたの心がせまいだけやろ。それに、あんたのむかつきを抑えるためだけのために、結婚するわけなかろうが。」「でも、わたし、ちゃんと『おめでとう』言ったげたよ。あんたもちゃんと言ったげや。」ぼくは、そういう時は、『おめでとう』は使わない。『おめでとう』はゴールの言葉だと思うから。結婚はゴールではないだろうし、これから先、なにがあるのかわからないのだから、ぼくは、『お幸せに』と言うことにしている。

ゴールだスタートだと言う前に、レースに参加してない私は、無責任な観客か、いい加減な評論家であろう。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『仙人の壷』南伸坊(新潮文庫,438円税別)なんとも訳のわからなさが愉快な、中国の昔話と、伸坊さんの蛇足のエッセイ。あれ?俺、これ単行本持ってなかったか?
当時の世 高橋尚子選手、女子マラソン世界最高記録。
当時の私 歩け歩け大会。野川に沿って上っていたら、4時間くらいかかって国分寺についた。翌日沿って下っていたら、1時間くらいで二子玉川についた。

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