[*]Noodle with Pork sparerib based Soup

Date: Mon, 6 Dec 1999

もうずいぶんと月日が経った気がするのだが、以前に何かの雑誌に紹介されていたと、Tさんに聞いたラーメン屋に行ってきた。しかし、やはり相変わらず最近胃弱な私は、とんこつの匂いに一瞬たじろぐのであった。

看板には「とんこつラ−メン・皿うどん」のれんには「長崎チャンポン」とある、メニュ−には「博多ラーメン 500円」とあった。間に挟まった佐賀県の立場はどうなのだろうか。

油のしみ込んだような茶色い壁に、かすれかかったメニュー。上には有名人のサイン色紙が黄ばみかかっている。
#う、なんかこう、ある型にはまってるぞこれは。

視界の端に動くものがいる。茶羽御器被り君だ。私の評価基準の中でなにか特定の型に限りなく近づいている。ある型のシチュエーションである。これで店のご主人が頑固ジジイだったりしたら、満点なのだが、店を仕切ってるのは、どっちかいうとオバチャンの方のようだった。
「何にされます?」
メニューをひとしきりブラウジングして(単に、ながめただけだが)「えぇ、博多ラーメンください」
「はい、ラーメンね」しまった。「博多」は余計だったのかもしれない。しかし、横に並んでるチャーシューメンは、とんこつスープにチャーシューがいっぱい乗ってる絵を想像するだけで、むねやけがする。

「奥の方に麦茶ありますから、よろしく」
・・・セルフである。
そしてテーブル席に座ったお客さんは、品物があがってきたら、カウンターまで取りに行かなければならない。
おばちゃんは「はい、皿うどん、ながらくお待たせしました。おねがいします」
「カラシ、使われる方、これ持ってってください」てな具合にカウンターにモノを置く。

「おまちどうさま」と出てきた(博多)ラーメンは比較的浅い器であんまり量はなさそうであった。時折、職場の近くの店で食べる具沢山でボリュームのあるラーメンの影響かもしれない。でも、ま、値段は半額である。

以前、福岡に行った時、いっしょに行った人が、「ラーメンを食うときは、紅ショウガをたんまり入れるのだ!!」と、とんこつスープをピンク色に染めて、「かならず、替玉のお替わりをするのだ!!」という食欲旺盛だったのを思い出す。
もっともその人は、大阪に行ったら、けつねうどん(年配の方はきつねうどんのことをこう言う)を食わなければならないし、名古屋に行ったらきしめん食さなければならない。北海道に行った時は、たぶん、味噌ラーメンを食べるのである。

さて、細い麺をすすりながら、わたしは、「これは、にゅうめんよりも細いのじゃなかろか。」と思っている。
と同時に、そうめんを単に温かい汁で食べると、にゅうめんなんだろうか。冷やしうどんを、どれくらい細くすると、ひやむぎなのだろうか。断面積で縦横比がどれくらいから、うどんはきしめんになるのだろうか。と思い悩んでいる。

とんこつスープに細い麺の他は、チャーシューが一枚、あとは、刻みネギが散らしてあるだけの簡素な一品である。わたしは、コショウや紅ショウガをいたずらに入れたりしない。それともあるいは、とんこつなラーメンには紅生姜を入れるのは、いわゆるデフォルトってやつなのであろうか。

私が概ね食べ終わろうかという頃に、妙齢のおじさんが入ってきた。メニューをしばらく眺めて、なかなか注文しない。店のおばちゃんが聞く
「お客さん、醤油とか、味噌とかのラーメンをお探し?」
「ん、あ、うん。」
「うち、とんこつ専門なんですよぉ」
「やきうどん、みたいなのある?」
「んん、チャンポンの材料でヤキソバみたいなのはできますけど」
「チャンポンってなんですか」
「やさいとかたくさん入ったラーメンみたいなものです。」
「では、それ、いただきます」
たぶん、私の倍くらいは人間をやっていらっしゃるとお見受けしたが、今日が、おじさんの人生で「チャンポンデビューの日」となるのだ。

「ごちそうさま」
私は夏目君を一人差し出した。
おばちゃん曰く「いただきます」
そして、おつりをくれながら、汗だくの私を見て、「麦茶いかがですか?」と言いながら、店の奥を指差す。
「ありがとう」私は500円硬貨を握りしめながら、店をあとにした。

味は?と問われれば、思ってたよりもあっさりしてました。インスタントラーメンに慣れた舌の私は、お店の評論ができるほど肥えてはいないのである。近所で、看板に「川崎で2番目に味のわるいそば」と書かれている店があるのだが、そこにはちょっと二の足を踏んでしまって、行ってない。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『茫然とする技術』宮沢章夫(筑摩書房、1400円+税)「素に戻る契機」(P.79)の「たいてい私の文章は「興味を引かれた事象に対するコンセプト」のようなものを中心に、それが横にずれたり、派生するものへと飛躍したり、それらを構成することで成立する。」というのに、共感する。
っていうか、挿画:しりあがり寿、帯の推薦文:大槻ケンヂに引かれて買ったのである。
当時の世 職場のNさんから「ミーコ&レーコ姉妹」の捜索願いを頂いたのだが、どうやら、姉妹の親友のレスカさんも行方不明であるらしい。
当時の私 また、世界に膜がはりはじめた。

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