[*]Life is too long to live.

Date: Thu, 16 Sep 1999

15日って、何の日で休みだっけ。
俺、働いたし、海外出張してる同僚からも電話受けたし。別にカレンダーの日付が赤いのは、信号の停止信号が赤いのとは関係ないらしい。「別に、世界中が休みなわけないし」と思ってみたところで、日本の中でだって、工場から電話かかってくるし、事務所にも出勤している人はいる。せめてもの救いは、エアコンがよく効いていたことか。

カレンダー上は休みだし、と自分に言い訳して、定時退社。
普段、定時で帰ることは極めて稀なので、実は、「定時」ってのは「非常時」の間違いなのではないかと思う。

で、部屋に戻って、メールチェックして某MLにくっついてくる広告を見て

女性比率、驚異の47%突破!累計会員数、3万5千人突破!
      “EメールLove”はじめませんか? 
「驚異」だって。こういう広告表現がまかり通るのは「脅威」な気もする。人口比率で言えば、女の方が多いはずだけどね。インターネット人口は、やはり男の方が多いのが現状なんだろな。要は、今風の文通、いわゆるメル友を募集して、あわよくば。という奴のようだ。

本屋の袋に入ってくる「2倍」とか、ぼくのホームページの掲示板にくっついてくる「○-net」とかと同じで、なんだかトホホな気分になる。

メールは、頭と身体が分離する。身体のみにくさから離脱した気になる。(当然、それはいわゆる抑圧であって、解放ではない)
でも、かわりに、文体がみにくくなることもある。頭が身体から離れて調子に乗るので、E-mail人格なる性格が剥き出しになる危険がある。まぁ、その辺りは、自動車を運転すると、なんだか、強気になるのと近いかもしれない。

さて、非常時な定時で早めに帰ったから、留守電にあいかわらず、芸のない「あいかわらず、忙しいんか。元気なんか。ご飯ちゃんと食べてるんか。また、電話ちょうだい」というセリフが実家から入ってたので、電話した。

なにせ、普段、電話のできる時間に帰っていない。昼間、休憩と称して、電話するほどの差し迫った事情もない。

すると、あいかわらず、芸のない、「元気か」「忙しいのんか」「ご飯ちゃんと食べてるんか」「いい人おらんのか」しか言わない。つまらない。

めずらしく早く帰って、テレビのドラマ見て、「なんで、こいつら、こんなにストーリーが展開するだけのプライベートタイムあるねん。」と思った。でも、俳優さんは、空想の現実を演じることに忙しくて、彼らは彼らで、プライベートタイムはないのかもしれんなぁと思った。

一日余分に使ったところで、なかなかもって片付かない。昼間に、同じく休日出勤の先輩との会話ではないけれど、「人生、あんまし長くないよな。」と思った。

ぼくは敬われるような老人になれるだろうか。そもそも、老人になるまで生きられるだろうか。たしかに、今の世界を用意してくれたのは、今の高齢者の方々だから、年金のお金がその人のために流れていくのはわからんでもない。でも一度、自分のことを考えると、保険とか年金とかに魅力も必要も感じない。どうして、みんな、未だ来ない未来の準備なんていう器用なことができるのだろうか。と思う。

台風の影響か、低いところをものすごいスピードで流れる雲を見て、似非雲水は修行が足らんなぁ。と思った。速い雲や、大雨や、太陽には、どこか宗教的な感じがする。微妙な色合いの夕焼けがきれいだった

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『禅とは何か』鈴木大拙(角川文庫)初版は昭和29年とある。有名な禅の坊さんらしいというは、以前から知っている。大拙という名前が、いかにも禅っぽいケレン味があるなぁ。なんて思いつつ、また機会があったら読み返そうと思った。
当時の世 世間のことがほんとにわかってません私。
当時の私 肩重いで胸がせつない。

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