[*]Rolling chopsticks

Date: Sun, 11 Jul 1999

奴らは絶対なんらかのヤクをキメている。そうでなければ、脳内に麻薬状の物質が分泌されているに違いない。

奴らというのは子供達のことである。「供」と「達」が複数形の重複のような気がするっていうのは、以前にどこかで書いた気がするので、重複している気がするのであるが、よしとする。

彼らはなんでもないことに対して、ウキャウキャと叫ぶ。見ていると、「なるほど、個体発生は系統発生を繰り返すのであるな。やはり、人類はサル科の動物なのだ。」と思う。(注:サル科なんてあったか?それに、発生と、発達あるいは成長は違う)

私も人から、「なんでそんなどうでもいいことをネタにするかなぁ」と言われることもまれにあるので、私の脳内にも分解の済んでない子供物質が消化不良のように残っているのかもしれない。でも、私は「クックックッ」と声を押し殺して怪しい笑みを浮かべることはあっても、「ウキャウキャ」と鳴き声を上げることはない。

お酒が未成年に禁止されているのは、ひょっとすると、子供物質とアルコールの相乗効果を恐れてのことかもしれない。という仮説は今思いついた出任せである。国や文化がかわると、子供だって酒を飲む。

逆に言うと、子供物質の分泌が止まってしまうから、大人はアルコールなり、ニコチンなり、恋愛なり、仕事なり、教義なり、主義なりに依存しないと生きてけないのかもしれない。

ちょっと早めに出勤すると、近所の中学生の登校の波とかち合う。ジャージを着た生徒指導の体育の先生とおぼしき方が「みんな、走れ〜時間だぞぉ〜」とお茶目に大声を出している。伝統芸能というか、生徒の制服以上にユニフォームなのだというか、そのセリフを聞くたびにトホホとなる。

中学生の波の中で、男の子はでかい鞄をたすきに掛けて、えっちらほっちら歩いているし、女の子は、やはり大きな鞄をたすきにかけて、よろよろと歩いていて、なんだか「義務」教育っていうか、なんかの「修行」のように見えてしまって、なんだかツラくなる。

もうすこし歩いて高校生の波に出会うと、男の子は、シャツのボタンをいくつかはずして、ベルトはゆる目、だらしなげに履いたローファーに、厚みのない鞄。女の子は短いスカートに、いまやすっかり定着してしまったルーズ。やはりブラウスは2つ目くらいまでボタンをはずしていて、セーターを上から羽織ったり腰に巻いたりしている。鞄は先程の中学生と比べるとうすい。

なんだか、中学生の方が苦労しているように見える。彼や彼女らも早く中学を卒業して、ああいう格好をしたいなぁなんて思っているのだろうか。自分自身はそういう中高校生ではなかったので、ますますもって謎である。

長い丈のスカートを履いた彼女らが、2、3年後に目指す短い丈のスカートのお姉さんたちは、「○○がぁ何々って言っててぇ〜、そしたらぁ××がぁ〜何々って言っててぇ〜それでぇ〜」と録音してきたテープのような会話を楽しんでいる。他人とのコミュニケーションの様子を報告することによって新たなコミュニケーションを取るようだ。

それを「「って言ってて」と言ってた」と書く私も似たようなもんか。

箸が転がってもおかしい年頃、というのがあると聞く。今の私も箸が転がると、「なにゆえに、その箸は転がったのか」と考えはじめて、ひそかにおかしいのであるが、屁理屈に終始してしまう。せめて、ニュートンがリンゴが落ちるのを目にする前に生まれていたら、私も転がる箸を見て万有引力を発見したのであろうが、いたしかたない。

ふと何気なく、テレビを見てしまって、高校野球の地方大会の中継をやってて、「あ、選手が坊主な子だ、あ、観客席の応援団はコギャルだ」と今更のように気付いて、上のようなことを考えた。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『「超」整理法3 とりあえず捨てる技術野口悠紀雄(中公新書、660円+税)とりあえず、私にはその技術がない。
当時の世 雨が降っている。
当時の私 少しまた、世界に膜が張っている。

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