[*]Матрёщка

Date: Mon, 31 May 1999

ぼくは、普段、時計をしない。ぼくの部屋にはカレンダーもない。新聞もとってないし、テレビもほとんど見ないので、曜日感覚というのが麻痺してくる。いくらか落ち着きを取り戻しつつあるとは言え、土日も仕事に出たりすると、ホントにどこが区切りか分からなくなる。

分かるというのは、どこかに区切りがあるから、分かれて分かるのであった。

こないだの日曜日は、休日出勤しようと思っていたのだが、あまりに天気が良かったので、久しぶりに路上観察の散歩に出掛けてしまった。

で、「こないだの日曜日」と書いてふと思う。カレンダーで、一週間が日曜日から始まるのと、月曜日から始まるのとある。どっちかいうと、日曜から始まってるのが多い気がする。じゃぁ、「こないだの土曜日」は先週で、「こないだの日曜日」は今週なのか?

てな問題は、別に週に限った話でもなくて、時間でも、テレビの番組予定には25時とか28時とかいう表示があったりする。当然、ふつうに言う所の1時とか4時のことである。21世紀は2000年からか、2001年からか、みたいな話題もある。でもって、そのような問題は、問題にならないこともあるので、問題ではないかもしれないところが問題だけど、Y2Kはファスナーの会社の名前ではなく、2000年問題のことである。

いわゆる創世記の中で、神様は6日間でこの世を作り、7日目をおやすみにした。それに従うなら一週間はたぶん、月曜日からはじまるのである。それにしても、4日目に月と太陽をお作りになる前から、「夕方となり、朝となった」のがどうやったのか、ぼくには不可解なのであった。

土日に仕事をすると、月曜病にかからない。そのかわり、毎日が火水木のローテーションのような気がする。考えてみると、花キン(もう死語か?)とかアフター5(ん?こいつもまだ生きてるのか?)とは縁の薄い勤務状態である。

昔の軍歌で「月月火水木金金」というのがあったと聞く。それじゃあ、ぼくは「火水火水火水木」と言った所か、失敗やらかして自分で火をつけて、あわてて水かけて消して、また燃料の薪を補給と言ったところか。ん?「月月火水」ってことは、一週間の初めを日曜と捉えてるってことか?

ずっと書いてると「火」と「水」と「木」は形が似ているので、どれがどれやら分からなくなる。ぼくは、自分のホームページで「む」ばっかり書いてるので「む」がなんだか路上で干からびたミミズのような、というかなんというか、こう、文字の意味が抜け落ちてしまって、おかしな気分になる。別にぼくの筆跡がミミズの這ったような字であるのとは関係ない。

こないだ読んだ本によると、そいういう同じ字を続けて書くのは実験的に離人症類似の症状を出すやり方なんだそうだ。離人症が出ると世界に膜が張る。世界に奥行きがなくなる。区切りがなくなる。分かれなくなる。分からなくなる。辛うじて、記憶を頼りに、「うん、これと、あれは、そういうこと」と自分に言い聞かせなくてはならなくなる。

そう思えば、小学生の時にやった書き取りのドリルはいけない、ような気がする。中学生の時も、化学の元素記号をひたすら繰り返し書いたような気がする。ひたすら書かれた元素は、意味が抜け落ち、素粒子に分解されて、創世記の前の混沌の世界に逆戻りする。「光あれ」

似たような部品の図面を何度も書いたり、似たような部品変更がたくさんあるリストの書き換えを繰り返してやってると、やはり世界に膜が張るのではなかろうか。みなさんよくやってるなぁ。と思う。

♪日曜日に職場に出掛け 図面と書類書いてきた 
 テュリャテュリャテュリャ   テュリャテュリャテュリャリャ
 テュリャテュリャテュリャテュ〜リャ〜リャ〜

てな感じで一週間分書くと、「テュリャ」の書きすぎでヤバくなってしまうのでこの辺で自制することにする。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『老人とカメラ−散歩の愉しみ』赤瀬川原平(実業之日本社, 2000円+税) 路上観察学会の創始者たる翁のキョロ目を借りてみる。
当時の世 モンシロチョウによく出会った。
当時の私 確かロシア民謡だけど「テュリャ」ってどう書くのだろう?”тюля” かなぁ。第二外国語は露語でした。でも、
Я не панимаю русский.(私はロシア語がわかりません)
スペルや文法が合ってるかは謎。

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