Date: Mon, 28 Feb 2000
おそらく、親父のギャグのレパートリーの一つである。「赤飯炊かなっ!」による刷り込みの影響だと思われる。うちにはセイロはなかったから、炊くはずもなく、単に買ってくるだけなのである。冬至の日なんかだと、カボチャ(父に言わせると「ナンキン」)をご飯の上ですりつぶして「たまごめし」というのも彼の得意技である。
その刷り込みの成果かどうかは知らないが、赤飯のおむすびを、頬張ると少し幸せになる。百数十円で少し幸せになれるのなら安いものである。だが、幸せの持続時間はせいぜい10分である。ああ。
赤飯と言えば、不埒な私は、「果して、世の女の子たちは、初潮を迎えると赤飯を炊いてもらえるのであろうか?」というのが気になってしまったりするのである。
あやしいキノコとカマキリの卵のようなもののついた男の子の私は、初めて精通のあった時は、洗濯カゴにパンツを入れずに、風呂場にパンツのまま行って、やおら脱いだあと、手で洗濯の真似事をしてたりしたのである。大体、普段は家事の手伝いなんかしないやつが、なんだか、パンツ一枚だけもって、ベランダの片隅に場所を探して干しに行ってしまう辺り、隠密行動にしては、あからさまで、まるで越後のちりめん問屋の隠居の振りをする先の副将軍である。
それはさておき、その頃の私は、
『赤飯』と『おこわ』は、ちがうのであろうか?
という謎にとらわれていた。果して「蒸す」のと「炊く」のとの違いだろうか。気のせいかもしれないが、「おこわ」という名称で出てくるものは赤みがうすいような気がする。ん、では小豆の種類が違うのか?もしや、もち米の含有量に違いがあるのか?なんだかわからない。
赤飯 もち米を小豆とともに蒸したこわ飯。おこわ。
おこわ こわ飯の女房詞から。特に赤飯を指す。
あら?辞書はまた同語反復トートロジーの迷宮に陥る。
こわめし 強飯。もち米を蒸した飯。蒸す ふかす。
炊く (1)米を、火を通して食べられるようにする。かしぐ。
(2)(おもに西日本で)煮る。ふかす 蒸かす。蒸気をあててやわらかくすること。
かしぐ めしなどを炊く。炊事する。
料理をしない私の理解では、(いや、小学生の時は家庭科受けました。近頃は男子校でも家庭科の授業あるそうですね)水と食材が接してないのが「蒸す」で、水の中に食材があって、水がなくなるまでフタを取らずに火を通すのが「炊く」。ん?煮込むと炊くは、どう違うんだ?きっと米の場合は「炊く」なのだ。しかし、関西人の私は、「煮る」関係も「炊く」と言うことがある。いや、「煮る」はきっと、途中でフタを開けてもいいんだ。たぶん。
わからなくなったので、「買う」に出る。コンビニには「本格セイロ蒸し」と銘打たれたパサパサだけどモチモチな赤飯が待っている。
部屋まで待ちきれずに帰り道で頬張る。たぶん、部屋にたどり着く頃には幸せの期限切れである。なんだか、いつもより赤みが強くて、塩味が濃い。「うむ、ごましお。ごましお。」なんだか鉄の味がする。くちびるが切れているだけである。あかまんま。
あかん、マンマミーヤ。の略というわけではない。
---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『かんたんに幸せになりたい』犬丸りん(幻冬舎文庫,
457円+税)「おじゃる丸」の著者が示す、しあわせの手引き。
当時の世 さぁ、どうだか。
当時の私 もち米は腹持ちがいいから、1時間やや幸せとしても、朝7時から夜25時まで稼働する私は、幸せでありつづけるためには、19個も赤飯むすびを用意しなければならない。というか胃がもたれる。
教訓:幸せになりたければとりあえず、軽く不幸でなくてはならない。
「饅頭こわい」ならぬ、「おこわこわい、おおこわ」というダジャレを考えていたのは、秘密であるが言うまでもない。