[*]Noise reduction

Date: Mon, 15 May 2000

先日、仕事の都合で無響室に入る機会があった。いや、まったく初めてというわけでもなく、前に何度か入ったことはあるのだけど、夜の無響室は初めてであった。

字面から分かるかもしれないけれど、無響室というのは、壁で音が反射するのを抑える仕組みになってる部屋である。学校の音楽室とか視聴覚教室なんかで、天井や壁が、コルクの断面みたいなデコボコとか、パンチングプレートのような丸穴がボコボコ空いてるのは、あれは余計な反響を抑えるためだけど、それがもっと大袈裟になったものと思ってもらえればいい。

グラスウールが詰まったクサビ型の構造物が壁に埋め込まれていて、音を吸収するようになっている。暗騒音レベルが15dB程度らしいのだが、そんな数字を聞いてもよく分からない。ただ歩いた時に、自分の足音の反響が聞こえてこないし、自分の動作で生じる音も壁で反射して返ってこないので、なんだか自分の存在が少しあやうくなるような妙な心地がする。

お仕事の測定は深夜過ぎに終わった。次の日は職場に出勤する予定だったので、そのまま後片付けして仮眠室で眠って、翌日昼間に使う人が来たら引き継いでしまえばいいのだけど、せっかくなので少し実験することにした。感覚遮断実験である。

人の感覚と言えば、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。それに、平衡感覚を加える場合もあるし、いわゆる勘というか第六感を加えたくなる人もいる。

そこで、無響室の中の照明も落として視聴覚の遮断をやってみたのである。なんだか腰からみぞおちに掛けて、ゾワっとくるものがある。例えるなら加速の大きな下りエレベーターに乗った時の下りはじめみたいなものか。縮み上がるとか、肝を冷やすとか、そんな感じか。なんだか体の外のライン沿いに冷たいものがスーっと上がってくるような感じがする。

いや、それは多分、あらかじめ用意された恐怖感を裏切らないための、自分が自分を騙している錯覚なのではないかと思われる。しかし、あらためて、普段の生活がノイズにまみれて暮らしてるのだなぁと思う。真っ暗なはずなのに、同心円とまでは行かないけれど、木の年輪みたいなモワモワした暗くて青白い模様が見える気がする。何も音源はないはずなのに、うわんうわんうわんと、うねったような幻聴がする。

目と耳が封じられて、他の感覚に気が向く。測定室のどことなく埃っぽい臭いと、自分の汗くさい体臭が気になる。服と身体の間の隙間が妙に気になるし、靴と足の関係が、なんだか揚げ損なった天ぷらの衣のような妙な違和感がある。とりあえず床に足がついてるのがありがたいのだけど、この床がフッと抜けて地の底に落ちてしまったらどうしようと不安になる。

別に食事中じゃないので、味覚には特に今、お仕事はないのであるが、お暇になった舌で唇をすこし湿らせてみる。余談であるが、私は上の歯茎の裏側を自分の舌で触ると、なんだかゾクゾクして脱力感に苛まれる。この感覚はなんだろうか。他の人はそんなことはないのだろうか。

暗ければ、キルリアン写真のような生体発光現象が見られるだろうかと、手をかざしてじっと見るが、光は見えない。ただ、自分で自分の手を見ているので、位置や形が分かっているから、なんとなく見えるような気がしないでもない。

なにかのビデオで見た気功師のポーズを真似てみても、なんも出ないし、両手を広げて、手首で合わせて前に突き出しても、カメハメ波なんか出ない。

なにか得るところもあるかもしれん。と結跏趺坐の姿勢になって座禅してみる。実は私はこの姿勢から空中浮遊術が使えるのだが、滞空時間は0コンマ数秒である。今は飛ばずに心鎮める。あいかわらずの、うわんうわんの他に、胸のあたりでトクントクンと言っている。ああ、ぼくは生きてると思う。時折聞こえなくなるが、単なる不整脈であろう。耳の奥でジージープチプチと言っている。日々死滅している脳細胞のシナプスが繋がったり切れたりする音はこんな感じかもしれない。

そうこうしてるうちに、もう少しで、世に言う丑三つ刻に近づく、出るだろうか。枯れ尾花の擬態がこの時間に出やすいのは、おそらく、人の生体リズム的に、この時間が、もっとも夢と、うつつの境界が薄くなるからではないかと、私は思っている。

特に霊も下りてこないし、悟りが得られたわけでなし、このまま眠ったらどんな夢を見るだろうか。というのにも興味が引かれたのであるが、朝、目覚めたときに、音も光もない世界というのも寝覚めが悪そうなので、座禅を解いて、痺れる足を引きずりながら、ソファに倒れこんだ。ソファ寝の寝覚めもあまり良くなかったのだけど。

電灯からキーンと高周波ノイズがして、時計はコツコツと時を刻み、風呂場のファンはウーンと言いながら湿気を追い出し、近くの道路を大きな車がブーンと通ると部屋がカタカタかすかに揺れて、もう自分では慣れてしまって分からなくなっている、ゴミと汗のニオイのしみ込んだ自室のペタンコな布団で眠る方が心が休まるのは何故だろう。

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当時の本 『人の心はどこまでわかるか』河合隼雄(講談社+α新書, 740円(税別))どこまでわかるか。んなもんわかるか。人の心がいかにわからんかはいくらかわかる。
当時の世 小渕前首相死去。
当時の私 町歩きしていると、やたらと花束を持ってる人に会うなぁ。 と思ったら、母の日だった。久しぶりに、こちらから実家に電話した。

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生まれつき目や耳の不自由な人の感じる世界観ってどんなのだろう。