[*]I have no cold

Date: Mon, 6 Mar 2000

遅く帰って部屋のドアを開ける。開けたドアを閉じながら、ため息をつきつつ独り言ちる。
「つかれた」
もっとも、「つかれた」というのは幼少のみぎりからの口癖のようなものだから、かなり「狼が来たぞ」な用語ではある。ため息をついてることが自分で分かったり、疲れを意識できるってのは、いくらか余裕が出てきた証拠に違いないと私は解釈することにしている。

ドアを閉じきるかどうかの所で、電話のベルが鳴る。滅多に鳴らないので、いざ鳴るとビクッとする。3歩ほど早歩きして受話器を取る。「はい」
「もしもし、帰っとったか。あいかわらず忙しいんか。元気なんか、ずっと声聞いとらんかったしな。」父である。あいかわらずの出だしである。きっと「もしもし」とセットになってるのだ。

「今、帰ってきたとこやっちゅうねん」と答えながら、万年床とまでは行かないけれど、二週間床くらいになっているセンベイ状の布団に腰を下ろす。「ん?」「あ?」と、ダルくて、おざなりな応対をしていると、
「元気そうな声を聞けてなによりや」とまた、たぶん言うのを準備していたのであろう台詞を言う。まるで"How are you?"と聞かれたら"I'm fine thank you, and you?"と答えるしかすべのない中学英語である。
「おかあさんに代わるわな」

「もしもし、おかあさんです。」「はい、はい」「元気なん?風邪引いてないか?あんた改源、好きやったから、プロポリスと一緒に送ったげといたから、飲んどきや。Cとらな、あかんで、C。」
彼女の記憶の中では、私は改源が好きということになっているらしい。幼い私が不覚にも自分でそう口にしていたのかもしれない。なんぼ好きでも風邪をひいてもいないのに、風邪薬を飲むやつはいない。(一部、いわゆる合法ドラッグのつもりで飲む人はいる)

「それとな。お願いやから、酒の飲み過ぎにだけは気をつけや」
その時、私の右手は、帰り道で寄ったコンビニのポリエチレン袋をまさぐり、おもむろに缶ビールを取り出し、ステイオンのタブを引いて、まさにプシュッと言わせんとす。な状況であった。そのあとのビールはいつもより苦かったのは、買ったのがキリンのラガーだったからではないと思う。

いつの頃からだろう。缶飲料の口がステイオンタイプで定着しだしたのは。昔は、缶飲料の懸賞と言えば、取り外したプルタブを用紙にテープ止めして送ったものだ。最近はその分、缶の側面に貼られたシールを集めて送るのが多い。別にビアサーバーの懸賞に申し込むつもりはない。

あんまりまずかったので、買い足しに出掛けることにした。急激に立ち上がると脳貧血とアルコールのダブルパンチ(んん、なんかレトロな響きの言葉だ)でギャフンと言ってしまうかもしれないので、慎重に立ち上がる。もう十分に飲んでるのだから、バタンキューと寝てしまってもよいものを。
(悪のりである)

表を歩いていると、後方から、私に聞き取りのむずかしいペチャリクチャリペチャリクチャリと高速な日本語会話と共に、シャカシャカシャカシャカと、ポリエステルだかポリウレタンだかのこれまた高速な衣擦れの音がする(ウインドブレーカーの合成繊維の衣擦れじゃ、なんか、がさつだなぁ(と言いつつ、自分だってそうである))。ダイエットのためにおしゃべりしながらウォーキング中のご婦人たちであった。
リチャクリチャペリチャクリチャペ、カシャカシャカシャカシャとドップラー効果を伴って私を追い抜いていったという(嘘)。

後ろに気を取られていると、前からヘッドライトをハイビームにしたタクシーがまぶしい。ライトの光量が落ちて、ドアが開く。ふらふらになって、互いにもたれ合いながら、ろれつが回らず、足元もおぼつかずとも、お喋りをつづける仲良しおばさん二人組が降りてくる。
「ほほう、やはり、人という字は、人と人が支え合って、、、」ふたりだが、ちどりである。

正面から、夜目遠目だからかキレイそうな女の人が歩いてくる。私の方が右側通行を守っているのだから、優先権がありそうではあるが、なんだかいたたまれなくなって、およそ20m手前から道路の反対側に移動する。さらにおよそ10m手前から「きっと、ぼくの息はしこたま酒臭いに違いない」と息を止めてみたりする。おおよそ彼女とすれ違い終わって、こちらが風上ではないことを確認して、ふーっと一息大きく呼吸をすると、彼女の残り香が急激に鼻孔粘膜を刺激して、クラクラする。

身震いがしてくしゃみが出る。ポーっとしていて目がうつろ。端から見ると風邪の諸症状を呈しているようであろうが風邪ではない。アホが酒飲んで息止めて20数m歩いて目眩してるだけの話である。改源はいらない。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『野口体操 感覚こそ力』羽島操(柏樹社, 2400円+税)鴻上さんの本で紹介されてたのを入手した。体操とか健康とかの棚にないなぁと思ってたら、演劇の棚にありました。身体の重さの感覚。
当時の世 PS2発売。いわゆるマウスやキーボードのインタフェイスのことでなくて、プレステ2(略さなければ、プレイステーション2)のことである。あ、略が2段だ。
当時の私 明かりを点けましょ爆弾にぃ。お花をあげましょ毒の花ぁ。五人ギャングに襲われてぇ。今日はかなしいお葬式ぃ。ってのは、園児時代のひなまつり替え歌。

目次へ戻る

改源は株式会社カイゲンの製品です。
プレイステーション2はSCE(Sony Computer Entertainment Inc.)の製品です。