(む}Cawaii?

Date:Mon, 23 Oct 2000

私の隣の席で仕事をしているM嬢は、かわいいらしい。「かわいいらしい」と「かわいらしい」では随分違うし、「かわいいそうだ」と「かわいそうだ」も結構違うので注意が必要だ。

私は以前、人に、「かわいいね」と言ったら、「気にしてるんやから、そんなこと、言わんといてください」と叱られたことがある。これは、まぁ、その人の中で「背が低い」というコンプレックスと、「かわいい」という単語が不幸な連携を取ってしまったせいだと思われるのだが、それ以来、私は「かわいい」という単語を使う際、コンマ数秒の間、適切かどうか検討をしている間に、言うタイミングを逃したりしている。だから、なにかにつけ「かわいい」を連発する女の子を、うらやましくもうらめしく思っていた。最近になって、また少し、この語彙を使えるように戻ってきた。

さて、「かわいいらしい」と言うのは、他人の証言に基づく情報だからである。私は、日本語に極めてよく似た「私語」(「しご」でなくて「わたくしご」)を使うので、しばしば誤解を招く。そのため私語辞典を毎日のように改版して日本語らしきものを使っている。だから、私が「かわいい」と言っても、一般的に言う「かわいい」と違うかもしれない。

そもそも、「かわいい」なんて単語は、極めて主観的で、好みの問題を多分に含むので、一般的にどうだというと、むずかしいところがあるのではないかと思う。どこぞの研究によると、美人顔というのは平均顔だと聞く。どこにもない平均。「ふつう」の顔。

ただ、「美人」と「かわいい人」は明らかに違う基準によると思う。「かわいい」の一般形はあるのか?形態学的には、目鼻口が頭の下よりにあると「子供顔」のために、かわいいと言われる。だから、ドラえもんは目が高い位置にある大人顔なんで、のび太くんは、甘えてしまうのである。

というわけで(どういうわけだ?)、M嬢を「かわいい」の用例として「私語辞典」の改版内容に盛り込むことにした。なにせ、自分で「ぷりちー」と名乗ってしまわれるくらいなのだから、彼女には、うまく歳を取って、ゆくゆくは、かわいいおばあちゃんになって頂きたい。

さて、普通の辞書を引いてみると、「かわいい」は「可愛い」という字を当てている。「可」は、「義務のべし」というより、「可能のべし」であろう。つまり、「愛せる」ということだ。さらに、数行読みすすむと、

  1. 愛らしい魅力をもっている。
  2. 小さくてほほえましい。

ほう、「小さい」というのは、一般的に、くっついちゃうんだ。でも、大きくっても、かわいい人は、かわいい。

「愛」の意味は未だ模索中でよく分からないので、「愛する」という単語は私語辞典には見出し語だけで、意味が載っていないのだけれど(ちなみに、私が辞書を買う時の基準は、事前に「あ、これ引きたい」と思った単語が、収録されているかどうかによる。そういう意味だと、私語辞典は購入対象外になる。ま、私語辞典は不売品だし、購入すると言ったって、そんなに頻繁に辞書を買うわけではないが。)その私語辞典では、「かわいい」の意味は、「ほほえましい」「おかしい。」と、ほぼ同意だ。

無論、「おかしい」は「可笑しい」場合もあって、「変だ」という意味とはかぎらない。ま、変でおかしいケースもあるし、私は、「変だ」と言われるのは「個性的だ」って意味だと思っている。言うまでもなかろうが、ここでの「可」も義務でなく、可能である。

辞書ばかり当たっても仕方がないので、散歩に出掛ける。街で、今風な娘さんが「これ、チョーかわいくない?」と言ってるのを聞くと、用例の収集のために、そちらに視線を向けて「ほう、それは、かわいいのだな。」と思う。「かわいい」主義者の彼女らの服装や、メイクは、「これも、かわいいのであろうな。」と控えめに観察する。

しかし、人混みの苦手な私は、つい、また、本屋やコンビニに逃げてしまう。そこで『Cawaii!』なる雑誌を見かける。なるほど、これが「かわいい」の標準なのか。いわゆる、世に言う「コギャル」に見えるのは、私に見る目がないのか。出版社が主婦の友社なのは気のせいか。

しかも、姉妹誌(というか、大人系とか、お姉系を狙ってるらしいから、あとで生まれてるけど姉だな)に『S Cawaii!』というのもある。いや、待て、そもそも、コギャルというのは、バブル期前後の女子大生ブームのギャルの低年齢化に伴って、高校生女子を指していう単語ではなかったか。では『S Cawaii!』の目指すところは、元来のギャルとどう違うのか。ま、見た目で、もう違うが。

篠山紀信の『アイドル』なんかも参考になるかもしれない。1970年くらいから、紀信さんが撮ってきたアイドル写真の足跡である。昔見たアイドルを今の目で見て、「おや?」と思うのは、子供の頃見た、アニメや特撮を、今、コレクターアイテムなビデオなんかで見て、「おや?」と思うのと近いのかもしれない。でも、これらは、プロのタレントさんだ。最近は素人がセルフプロデュースアイドルになってる。

なんて考えながら、ブラウジングしていると、ギャルママさんの雑誌がある。見た目コギャルメイクだけど、子持ちの人の雑誌みたいだ。一時期、高校生より若い、中学生で派手目なのをマゴギャルと呼んでたと思うが、ギャルママが娘を産んだら、ギャルママさんのママさんから見たら、まさにマゴギャルではないか。コギャルのままに、ママになる時代なんだ。世の中、ままならない。いや、儘の儘とも言える。

ヤンママというのが、ヤングなママなのか、ヤンキーなママなのか、よく分かってないうちに、時代はギャルママに突入してしまったようだ。ママドルとかマドンナとかってどうなったんだ。コマダムはどうなんだ。ハイミスとかヤングミセスとかは死語になってる気もする。

「マゴギャル」って単語も、いまいち生きてない気がする。親より先に死語になっては親不孝である。私の観察によると、大多数の中学生女子は「高校生になってから」と待ってる感じを受けるし、多少、派手目な中学生女子を見かけても、単に「おませさん」って気がする。それと比べると男の子は、まだ連続性っていうか、変わらないというか、単純というか、そんな感じがする。

孫が目に入れても痛くないくらいかわいいなどと言う。「猫かわいがり」という言葉がある。私は猫を飼ったことがないので、良く分からないけれど、目の中に入れられそうになるのは、孫と、御老公の印籠と決まっている。たぶん、実際に目に入れたら痛くて仕方がないのだろう。目薬でさえ、目に入れると痛い。良薬、口に苦し。良目薬、目に痛しなんだろうか。「その印籠は、目に入らぬわぁ〜」気分は、「ええぃ、もはや、これまで。」と切りかかる悪代官である。

猫の皮を何着か持っている人もいると言う。くだんのM嬢もワードロ−ブに何着か猫のかぶりものを持っているらしい。乾燥機に入れて、無理矢理乾かしたのか、室内干しになっちゃったのか、時々、毛羽立ったり、じめっとしたりする。洗濯に失敗した猫の皮は、目の下が隈になって猫というよりパンダのようだ。パンダって中国語で熊猫でしたっけ。

貸してあげようにもネタの参考に買ったコンシーラは捨てちゃったしなぁ。あ、シャドウ使って、本格的にパンダを狙うのもいいかも。私は、私の化けの皮の洗濯が下手なので、自分の顔を洗面所で眺めつつ、最近、目袋できてきて、隈もできてるよなぁ。白目が白くないし。

ああ、パンダって、なんで、あんな塗り分けで、平気でいるのだろう。モノトーンでシックに決めてるつもりなんだろうか。でも、彼らは「かわいい」と言われる。笹食ってダラダラしてるだけなのにな。

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当時の本 『汝みずからを笑え』土屋賢二(文藝春秋,1381円+税)今すぐ買わないと大変なことになる。作者が。哲学教授のユーモアエッセイ
当時の世 なんか野球の日本一決めてるらしい。
当時の私 ズボンの腰周りがゆるくなってきたのだが、も少し、しぼるつもりもあるわけで、だとすると、今買うと、あとでまた、だぶつくのではと、躊躇している。

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