Date: Sun, 23 Aug 1998
駅前に行くと、やまぶき色のTシャツを着た人たちが募金箱を持っている。
「ああ、今年も例の番組の時期か」と思う。
今年で21回目らしい。地球を救うほどの愛とは、どういうものか?私は隣人を愛するということの意味さえ知らない。そもそも、地球は救わなければならないほど、困っているのだろうか。たぶん、人類どころか、全ての生物がいなくなったとしても、地球はそこに存在するだろうし、また勝手に新しい世界の、在り処になるに違いない。
「急げヤマトよ!地球滅亡まであと、○○○日」ではないが、思い出してみると、小さい頃見ていたテレビ番組の主題歌では「地球を救え」的なフレーズをよく聞いたような気がする。その頃の件の24時間テレビでは手塚治虫のアニメが流れていて、それはなにか引き込まれるように見てたような気がする。単に私がテレビっ子だっただけかもしれないが…その時の製作現場は修羅場のような状況にあって、地球を救う前に、スタッフを救わなきゃなんないんじゃないのという感じだったらしいということを、最近、本で読んだ。
24時間テレビだからというだけで、普段はやらない夜更かしを夏休みの最中にできることがうれしかっただけで、地球を救おうという気持ちはこれっぽっちもなかったし、少ない小遣いを募金に回そうという気もなかった。24時間、人工衛星から撮った地球の画像をぼーっと流した方が制作費もかからなくていいんじゃなかろうかと思った。
お金は人にしか使えない。「愛」とかいうやつを表す手段が金しかないのならいたしかたないが、お金のように額の見えるものだと、なんだか、金額が気持ちの量のような気がして嫌だ。「金額よりも、募金しようという気持ちが大事」などと言われても、気持ちほど頼りにならないものはないので気持ちが悪い。
アメリカの夫婦は、ひっきりなしに"I love you."を言い合ってないと、冷めてしまうというような話をどこかで聞いた。英語だといいのかなぁ。私は「愛してるよ」「好きだよ」なんていう言葉は言った数が増えるほど白ける気がする。言葉はコミュニケ−ションの道具なんていう人がいるが、誤解や虚偽の道具でもある。
「愛」という得体のしれん概念を持ち出さないと、他人と付き合えないのが人のやっかいなところだろう。「愛」とかいうやつを表す手段が言葉によることが多いからこそ「口説く」という単語があるのだと思う。
「愛」という字は「受」という字と似ている。「中に心を受け入れて重いので、足が一本増えないと支えられないんだ。たぶん。」と思っていた。形が似ていても「愛人」と「受入」は違う。「人」は人が立っている形、「入」は入口の形に由来すると聞く。
「受」は「爪」(下向きの手)と「又」(上向きの手)が「ワ」(もの)を受け渡す形を表す字らしい。それに対して、「愛」は「旡」(満腹なようす)と「心」を合わせて胸がいっぱいであることを意味し、その下に「夂」(もつれた足)を入れてせつない気持ちを意味するものだそうだ。どうも、たまたま似てるだけみたいだ。
「恋人」と「変人」も似てるが違う。「恋」の旧字体から「戀とは、いとし、いとしと、言う心」などという話もあった気がする。「糸言糸」の部分は「攣」の上で「ひかれる」の意と「レン」という音を表し、それと心がくっついて、心引かれることを表すらしい。「攣」はからんだ糸を手で手繰っているのである。
で、「変」は絡まった糸「糸言糸」の下に、もつれた足「夂」が組み合わさって困ったちゃんなのだった。
手元にある辞典によると、
「愛」の下の「夂」は「すいにょう・なつあし(夏足)」といい、
「変」の下の「夂」は「ちにょう・ふゆがしら(冬頭)」といって、
ちょっと違うらしい。ワープロではその違いを書くのは難しい。
そういうことは辞典にのっているが、肝心な「愛」の意味がわからない。愛飢男君の引く辞典には、ちゃんと、あいうえお順に言葉が載っているが、「愛」の意味はわからなくて、恋人になれずに変人になる困ったちゃん。飢えてると言っても、一度もそれを食べたことはなく、食わず嫌いならぬ、食わず好き、もとい、ないものねだりである可能性が高い。
それはうまいと人の言う。甘いとか酸っぱいとか苦いという人もいると聞く。
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当時の本 『詭弁の話術 即応する頭の回転』阿刀田高(角川文庫,
460円)まぁ、立派に洗練された屁理屈の数々。「若いとだれもが心配するけれど愛があるから大丈夫なの」そういうことを言うから若いと心配するのである。
当時の世 横浜高、無安打無得点で春夏連覇。でも、ぼくは見ていない。
当時の私 やはり、日本語で「愛」と書きすぎると白ける。