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Date: Sun, 29 Mar 1998

またも懲りずに通勤途上の話。

毎日、毎日、電車に乗って職場まで通っている。自動車通勤だったりすると、おそらく渋滞ネタになるのだろうが、一応、免許を持っていても、運転中につい、ネタが浮かんでそのことばかり考えて、ハンドルやアクセルやブレーキの操作がおろそかになるので、運転は自粛している。したがって、ぼくは筋金入りのペーパードライバーである。果して紙のどこに筋金が入っているのかは知らない。

実家の近所のおばちゃんには、「たけし君、ふつう免許取ったら親に「車買うて」って言うもんやよ」と突っ込まれたこともないでもないが、ぼくは歩きや電車の方が気持ちの持っていきかたが楽である。ぼくが他人ならば、ぼくのように余所事をずっと考えながら運転するような奴とは、同じ路上にいたくない。だから免許証は単なる顔写真入り身分証明書になっている。

あれやこれや考えていて、目の前が見えてないことがしばしばあるぼくは、親によく「ちゅういりょくさんまん」と言われていた。しかし、「注意力三万」と言ってるのだと思い込んでいたので、なんのことやら分からなかった。「散漫」と言っているのだと気付いたのは随分あとだった気がする。

で、話は戻って通勤電車。絶対に過積載だよな。あれ。バッテラの飯みたいになってしまうものな。まさに寿司詰め。バッテラは好きだけど、バッテラになるのは御免だ。おしくらまんじゅうをするには、だいぶ温かくなってきたのでいただけない。

いつも通勤に使っているJRの車両の中に、窓ガラスが随分と大きな型のものがある。駅のホームから見ていて、「なんや、金魚入れる水槽みたいや」と思う。中の乗客は混雑で窒息しそうなので、ブクブクを入れてあげなきゃと思う。やむを得ず、ぼくも金魚の仲間入りをする。窒息しないように、本など読んで別世界に空気穴を空けておく。

時々、手持ちの本が品切れになってしまって、もがきながら中吊り広告にツッコミをいれたり、朝の乗客のどうでもいい会話に聞き耳を立てて、それにツッコむ。ほんとは、口に出して突っ込んだ方がカタルシスがあっていいのかもしれないが、偽モラリストとしては、赤の他人に強めのツッコミをするわけにはいかない。だから、心の中でつっこむにとどめる。

それでも窒息しそうになって、ドア付近のお客様であるぼくは、一旦降りて、降りるお客様にご協力さしあげるついでに、息継ぎをしてたりする。

日によっては、ご乗車されましたら、中の方へ進まれるお客さまになってしまうときもあるので、「駅で、ちゃんと降りれるかなぁ」と心配しつつも「ま、降りられなければ、次の駅まで行けばいいし」と思いながら顔を上げる。

駅に着く、水槽の内側の金魚たるぼくから見て、駅で電車の到着を待って並ぶ人々は、まるで判決を待つ被告の様相を呈している。こんなに朝っぱらから疲れ切った顔を見せられてはこっちの気分もまいる。この人たちは、はたして、今日一日をどうやって過ごすのだろうと思うと、かわいそうでしかたがなくなってくるのだが、ひょっとすると、ぼくも、端から見ると、そういう顔をしてるのかもしれないなぁと思う。他人が見る自分の顔は自分には一生わからないから。

ぼくは、毎日の行き帰りの電車の中で生き返る。どうして、どんなに疲れていても家に向かうにつれて、元気になるのだろう。どうして、朝の通勤電車の中で、しょうがないなぁ。今日もなんとかやってみるか、と思うのだろう。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『BE FREE!』江川達也(講談社漫画文庫, 各巻650円 7巻) 10年くらいまえ、『BE FREE!』という大変エロいマンガがあるという話を聞いた。その時、ある種のタブーになって遠ざかっていたのだが、文庫化を機会に読んだ。実に今な作品だなぁと思った。
当時の世 桜が咲いた。でも花見にかこつけた酔っぱらいは嫌いだ。
当時の私 日曜日に出勤したら、朝夕に府中通勤ラッシュに巻き込まれて参った。

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