Date: Sun, 25 Oct 1998
小学生の頃、学校のトイレで大きな用事を済ますことはタブーであった。
一度、その事実が発覚すると、あだ名がウンコになる可能性が極めて高かったからである。無論、我慢の限界を越えて包んでしまうのは、おむつが取れてだいぶん経ったおつむで考えるまでもなく避けるべきことであった。
大きな用事は家庭のにおいがする。学校という社会を営む小学生にとって、社会に家庭を持ち込むことはプライドが許さないのであった。授業参観で親が来るのに違和感を感じるのと同種のものではないかと推測される。大きな用事と同列に論じられては親もたまったものではない。
先の推論は、今考えたものだから、当時のぼくがそう考えていたのではない。
しかし、ある種のタブーがあったのは事実であり、脂汗をタラタラ(なんかタラタラっていう擬態語は粘度が脂汗っぽくて良いな)たらしながら、我慢しつつも、臨界点突破してメルトダウンするような事態はなんとしても回避されなければならないのであった。
最悪の事態が発生する前に、止むを得ない措置として、教室からもっとも遠い、理科室のそばの人通りの少ない所のトイレに緊急退避するのであった。緊急であるが、あまりに急ぐと、おなかの中の融合炉の反応が加速して、ますますやばいことになるから、慎重にことを運ばなければならない。そして、任務を遂行したあかつきには、人通りのないことを確認して、速やかに現場からの離脱を果たさなければならないのであった。
しかし、それは最悪を避けるための超法規的行動であるからして、基本的にはじっと我慢の子であった。「からだのひみつ」なんかを読んで質問コーナーに
「おならをじっと我慢してると、一部はまた体に吸収される」
なんていう説明を見つけると、おならだって我慢の対象になるのである。ぼくはテレビのタレントではないけれど、対社会的には「トイレなんか、いかないもんねぇ」というスタンスを取るのであった。(当時はテレビに出てるタレントは普通の人間と違うのでトイレにはいかないんだと思っていたのである。)もっとも、この時、小さい用事のことを失念しているのは小学生の浅はかなところであろう。
男子児童の中には、休み時間毎に小用をしに行く者がいたりして、
「なぜに、授業中になにか飲んだのでもないのに、彼は毎休み時間にトイレに行くのだろう?」
と思っていた。おそらく彼は彼で最悪の事態を避けるための行動であったのであろう。彼らのような小出しにするものに比べて、どちらかいうと、満タンになるまで行かないぼくは、同時にトイレに入っても彼らよりも出ていくのが遅いのであった。
「まずい、なんか俺の小用の所要時間は異常に長いのではないか。ひょっとするとなんらかの器官の異常なのではないか」
と疑惑がもこもこと(もこもこという擬態語も湧いて出るようで良い。一時期、曖昧模糊という四字熟語を知った頃、これは模糊模糊という漢字を当てるのだと思っていた。)と湧いて来て、家に帰って、またしても「からだのひみつ」を熟読しなければならないのであった。
しかし、一日の授業を終えたぼくは、学校でじっと我慢の子であったので、家に帰ったら、「からだのひみつ」を読むより先に、トイレに行かなければならなかった。我が家の厠は、なぜか入口のすぐそばにあった。我が家に一般家庭にあるような玄関などという洒落たものはなく、いや、広義には玄関に違いないのだが引き戸を開けて入ったすぐそこは店であった。そして、店から部屋に入る境界線上に厠は存在するのであった。駆け込むのには都合が良いのだが、いかんせん、家庭と社会との境界線に存在するその個室にこもりながら、
「いま、この重大な用事を済ませているときに、お客さんが来たりしませんように」
と祈らなければならなかったので、決して落ちつける場所ではなかったのである。
でも、この話の落ちをつける場所なのであった。
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当時の本 『私と直観と宇宙人』横尾忠則(文春文庫, 400円+税)ぼくは横尾さんみたいに宇宙人と交信することはない。屁理屈はこねるが論理型というよりは直観型の人だと自分では思っている。それにしてもこの本は飛んでいる
当時の世 秋晴れ
当時の私 秋深し隣は何をする人ぞ。 しゃがみつつ。