Date: Sat, 11 Apr 1998
4月11日は、ぼくの生誕28周年の日なのだそうだ。まるで人ごとのようだが、ぼくは3歳よりも前の記憶が曖昧、というか、ないので、果して本当にこの日に生まれたのか自信がないからである。一応、親が届けた書類によると、この日なのだが、うちの母は自分の息子にまで年齢詐称をしていたくらいだから、あやしいものである。
テレビ番組の懸賞ハガキにずっと28歳と書いてた気がする。少しずれると、戦中か戦後か変わる辺りだから、ちょっとずらしたかったのだろうか。
それにしても、いつまでも28歳なのは、ずれ過ぎではなかろうか。
物心がつく前の戦争体験が、本人の潜在意識にどのようなトラウマを残すのか?そんなことは良く知らないが、そんなこんなで、「お母さんは嘘つきだ」というトラウマをぼくに残したのは確かである。一種のマザコンである。
「俺」時々「ぼく」ところにより「私」であるところのぼくにとって、四歳の時にお誕生日ケーキを買いに、父の軽トラックの助手席に乗せられて、駅前の不二家だかコトブキだかに行ったのがおそらく、もっとも古い記憶である。だとすると、この「俺」時々「ぼく」ところにより「私」であるぼくが形成されたのは3〜4歳の頃ということになる。だとすると、ぼくの自意識である「ぼく」は生まれて25年くらいとも言える。
それまでのいわゆる赤ん坊の時代の記憶はないので、本当にぼくだったのか謎だ。体細胞は生きてるうちに新陳代謝でターンオーバーして入れ替わっているだろうし、脳細胞は減りつづけている。なにが「ぼく」を「ぼく」と決めるのか。
両親はのちに「ぼく」になる予定の赤ん坊を見てたいそう喜んだらしい。当然、彼らはのちにその赤ん坊が「ぼく」になるとは露とも知らないので、ぼくが彼らを喜ばせたわけではない。
色黒なうちの父は、母が色白なので、「赤ん坊が白黒のまだらに生まれたらどうしよう。」というボケを祖母にかまして、たいそう心配させたそうだ。ばあちゃんにはジョークが通じない、いわゆる洒落にならんというやつである。ただでさえ、9箇月で出てくることになった上、病院に着いてから2日間もかかってたので、生まれた時、ばあちゃんは「まだらじゃなかったぞ。良かった。良かった。」と言ったのだそうだ。
ばあちゃんはその時のギャグに気をもんだのが原因かどうかは知らないが、ぼくが3歳になる前に亡くなったそうなので、この話も本当かどうかよく分からない。とりあえず、実家の戸棚に飾られたばあちゃんの遺影が、この頃、歳をとった母とそっくりであるなぁ。とは思う。
日本の結婚式は親戚一同が集うので、お婿さんやお嫁さんが数年後にどうなるか周囲をぐるりと見回せば、サンプルがいっぱいあるので良く分かるのだそうだ。あとになって「若いころは…」という詐欺事件に発展する心配が少ない。
その実家の母は時折電話をかけてきて、「別れてもいいから、一遍くらい結婚しろ」と言う。そのうち、「結婚せんでもいいから孫抱かせろ」とか言いだすのではなかろうか。
ぼくは父よりもひどいハイブリッドなボケをかますので、はたして、嫁さんが耐えられるだろうかと心配になる。自分の好きな人に、そんな気苦労を懸けるのは忍びないので、あまり気がすすまない。
あれやこれやと考えて、脳みそがグルグルするのは、そもそも生まれてしまったからで、そういうネガティヴなことを言ってると、「その分、いいこともあったでしょ」と言われるのだが、どうも、ぼくの人生いいこと出納簿は、まだ赤字決算を続けているようなので、しばしば不機嫌になりながらも、景気回復を待ってみたりするのである。
誕生日が特別な日であるならば、誕生日の前日も特別な日だ。キリスト様くらいえらくなると、イヴを祝ったりする。ぼくの誕生日のイヴはキリスト様が十字架に磔された日らしい。当然、誕生日の次の日も特別で、2日後も3日後も特別だ。毎日が誕生日。
ぼくは毎朝オギャーと生まれる70000gの新生児。
---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『歩くひとりもの』津野海太郎(ちくま文庫, 680円)曰く、ひとりが癖なら結婚生活だって相当な癖なのではあるまいか。って海太郎さん最近結婚されたのだったりする。
当時の世 アントニオ猪木引退。闘魂は燃え尽きたか。
当時の私 高校野球を見ないうちに終わった。横浜が優勝したらしい。思えば、高校生とは一回り違うのであるな。