(む}Ubiquitous

Date: Mon, 21 Oct 2002

「指切ったっす」ではない。切ったのなら、とっとと傷口を洗浄して、絆創膏なり貼るのがよい。あるいは、「ハリセンボン飲ますっす」と、半ば強制的に、なんらかの約束をされてしまったのかもしれない。ウソをついたら、針を千本飲まされるのか。私が針千本飲む前に倒れたら、「針千本飲ます」と言った相手もうそをついたことになりはすまいか。あるいは、威嚇態勢になったハリセンボンの踊り食いをさせられるのか、ハリセンをボンとくらうのか、どれにしても無事に済みそうにない。それにしても、「げんまん」とはなんだろうか。

ユビキタス

ラテン語だかで、「遍く在る。」という意味だそうだ。「どこにでも」と言ってもいいけど、元がラテン語らしいので、「あまねく」と、仰々しく言った方がよさそうな気がする。「そこかしこで」と言ってもいいかもしれない。「どこも」では「みかか」である。

5年くらい前までは、「モバイル」という単語だって、みんなほとんど、使ってなかったと思うし、携帯電話だって、こうも普及はしてなかったと思う。ケータイやPCのように特定の端末を個人が持ち運んでネットに接続するのが「モバイル」だとしたら、普段の生活の中で、あらゆる場所で、あらゆるものが端末として機能して、ネットに繋がる環境が「ユビキタス」だと聞く。

私は携帯電話は持ってないけれど、Air H"のカードは持っている。パケット式で常時接続の契約をするほどには使わないので、一番安い基本料で従量制である。プロバイダの方はメールモードで接続すれば、基本料しかかからない。それにしても、パソコンのカタログなんかで、かっこいいお兄さんや、きれいなお姉さんが、PCと携帯電話を接続して通信してる格好が、いまいち冴えなかったのだが、今となっては、携帯そのものが端末化したからか、そういう光景は見なくなった。

でも、そのせいか、街の中で、ケータイとにらめっこしている人々の姿は日常になった。あなたは何の着信を待っているのか。あるいは、今、あなたは、何の情報をゲットしたというのか。今、世の中では、タブレットPCだか、スレート型だか、液晶部が本体で、タッチパネルでオペレーションするタイプのPCが話題らしいが、まだまだ厚いのでなんだか、さまに、なんない。そう、あの携帯電話を接続してる格好のようなのである。生命保険の外交の方や、コンビニの在庫チェックしてる人なら、まだ、さまになってる気がするのだけれど。究極的には紙と同じ薄さになったり、たたむのでなくて、まるめたりできたりするのだろうか?

さて、先日、出張先で泊まったホテルにて、客室にLANの口が来ていた。どうやら、ただで、ネットに接続できるらしい。しかし、私が持っていったPCは、今時の、ブロードバンド対応な機種ではないので、モデムの口はあるけど、LANの口はない。

わざわざモデム経由で接続して、遅い速度で、ホテルには電話料取られるは、プロバイダには接続料取られるはでは、なんだかなぁである。

果して、そろそろ、「ブロードバンド」という単語も、一般客をだまくらかすには早くも使い古された感がある。それはさておき、客室にある案内を読むと、フロントでLANカードを3000円で販売しているとあった。但し、技術的なお問い合わせはフロントではお答えしかねるとあった。

フロントまで、のこのこ行って、品物を見せてもらうと、メルコのLPC-2Tという10BASE-Tのカードと3mのLANカードのセットであった。料金は翌日のチェックアウトの時に払うことにして、いそいそと部屋に戻ってパッケージを開けると、

あう、ドライバがFDで添付されている。

今回、出張に持ってきたマシンはCDドライブは内蔵しているが、FDDは内蔵してないのである。時代はぼくに優しくないのか。いや、俺が時代に追いついていないのか。いや、世間の濃度は局所的にずれている。うまく混ざらず、ダマになっている。ユビキタスどころかモバイルの道も、なかなか遠い。念のために書くが、ここで言うドライバはネジ回しのことではない。

結局、Air H"のカードを差して、メーカーのホームページに行って、ドライバーをダウンロードして、Air H"のカードを抜いて、Win NT4はホットスワップできないので、再起動して、LANカードのインストールをして、めでたく、ホテルの部屋からネットに接続できたのであった。んんん、電話局から遠い私のおうちのADSLより明らかに速い。明らかに速いが、私が、なんらかの情報を迅速に入手するわけでもない。たとえ情報が早くても、その情報を利用する人間が遅いのでなんだかなぁなのである。

情報を入手する手段はたしかに増えた。でも、その情報とやらが、自分に有益なのか、それとも、読む時間が無駄なだけなのか判断する手間が増えた。新聞の全国紙に、自分の近所の情報は出てない(ま、折り込み広告って手もあるか)。大事件は大概、対岸より遠い火事である。かといって、世間に無関心なのも、なにかまずいような気もする。気にした所で、無神経な私の気が利く範囲は知れている。

そういや、インタラクティブって単語も、一時期流行った気がするが、双方向というには流れてくる情報は莫大で、また一個人が、逆にそれに影響を与えるのは、大変難しいような気がする。今までは知らずに済んだところを知って、見て見ぬ振りをする機会が増えているのではないか。見ても仕方がない情報も多いのも確かだ。いちいち見てる暇もない。ユビキタスとやらに対応するには、人のOSを書き換えないと対応出来ないのではないか。あるいは、自動アップデイトがかかって、人の考え方は変わるのか?石のお地蔵さまだって風化する。人は変わらないけど、情報の風に晒されて黙っていると、身や心が削れてしまうのではないか。そんな気がする。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『なぜあの人は強いのか』桜井章一、中谷彰宏(東洋経済,本体1400円+税)無敗の雀鬼は、世界を「流れ」でとらえようと言う。
当時の世 北朝鮮からの一時帰国の人々の話題ばかりだね。あ、少し前は、ノーベル賞の話題ばかりだったか。
当時の私 ふだん使ってるブラウザをNETSCAPE 7.0にした。

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