(む}May I sit down?

Date: Tue, 12 Feb 2002

私は、どうやらイスが苦手である。ひょっとすると、机が苦手なのかもしれない。では、実際、机が苦手なのか、イスが苦手なのか。切りわけが難しい。概して、机とイスは、ことデスクワークにおいてはセットであるから、片方を切り離しては、用をなさないからである。単に仕事が苦手という説もある。

常々、私は、座敷に仕事用の端末を置いてくれると、仕事がはかどるのではと夢想しているのである。どうも靴を履いて、椅子に座っているっていうのが落ち着きにくい。職場でも靴を脱いで、イスの上で正座したり、あぐらかいて仕事をしている人を見かける。でも、実際座敷で、ぺちゃんと座って仕事となると、そのままゴロンと転がって、お昼寝してしまいそうでもある。いすの上にあぐらというのは、微妙なバランスの折衷案かもしれない。

問題の切りわけのためには、原因と思われる条件を取り除いて、切り分ける必要がある。分かるということは、分けるということである。しかし、概して、多くの事情は、切ることによって、互いの関係性を失う可能性が少なからずあるのである。「切ったら、分けが分からない」という事態におちいる。

例えば、純粋にイスが存在する状態とは何か。
バスや電車の停留所や待合室、あるいは車内の座席。映画館や劇場もそうか。イスに座った方が楽なのか?楽という判断基準で、人はイスに座ることを選ぶのだろうか。少なくとも、待合や車内のイスでは、見ず知らずの人と袖触れ合うのが、ある種のストレスになりえるので、私はむしろ、立ってくたびれる方を選ぶ場合がある。袖が触れ合うのが嫌だからと言って、袖を排除して、ノースリーブを着たところで、地肌が触れる方が嫌われるケースもあり得るので、大変むずかしい。やはり、切り分ければいいというものでもない。もっとも、そんな場所では机がないのが当たり前なのに、あえて、クリップボードやパソコンを取り出して働いてしまう人もいる。

それにしても、「へこたれる」という言葉には、なんだかトホホ感が満載な気がする。「へたりこむ」ってのもなんか響きが似ている。だれか、hetari.comってドメインとってないか。地ベタに座りたい気分だ。そういや、座席でない所の床に座り込んでいる若い人もけっこういる。では、私はなぜ、地ベタに座らないのか、それは多分、「立つのが嫌になるのじゃないか」「直立していた方がまだ楽ではないか」と思っているからと推測している。この推測が正しいのか、検証のために電車で床に座ってみようかと思いつつ、まだ実現には至っていない。

純粋に机が存在する状態というのは何か。
立ち仕事の工場やお店の状況がそうかもしれない。いや、仕事を前提にすると疲れてしまうのは言うまでもない。なにせ「ビジネス」というのは「忙しいこと」という意味らしいからである。どうやら単体で存在できるのは、机よりもイスの方が優位なのであろうか。どことなく、イス単体より机単体の方が、きまりが悪いような気がする。イス単体は、どうやら「休め」と存在している気がする。もっとも、私はイスでは休まらない。

先日、久しぶりに、駅の立ち食いそば屋さんで昼食を済ました。考えてみると、ここにはイスはない。いや、実は2、3個だけイスもあったりする。じっくり腰を据えて食べたい人は、その席を利用するらしい。果して、駅のこういう店は、どういうタイミングで利用するのであろうか。次の電車まで間があって使うのだろうか。それにしては、多くの人は、時刻表をきっちりチェックして駅に向かうので、その待ち時間は発生しないとも思われる。では、この駅に着いたのだけど、なんだか小腹が空いたってんで利用するのだろうか。謎だ。あ、電車が来た。食べ残して立ち去る人もいる。でも、私は食べ終わってから出掛けたいと思った。

以前、同級生の一人が、旅行で東京に来て、駅の立ち食いそば屋で、「すうどん一つ」と言ったら、あえなく「券売機で食券買ってください」とあしらわれ、券売機にはどこにも「すうどん」のボタンはなく、どうやら「かけうどん」というのが、それのことらしかったが、「果して、何をかけてくれるのであろうか」などと期待しても、汁をかけてくれてるだけであるのは、関東の人が想像する「すうどん」が、酢がかかっているわけではなく、素なうどんであるだけなのと同じであろう。私は未だに、「きつね」で「そば」が存在することに齟齬を感じることがある。「きつね」の食券を出して、「うどんですか、そばですか。」と聞かれると、ん?なのである。

そう、で、だ。立ち食いなので、机しかない。気取ってカウンターと言ってもよいが、この机の高さというのは、なんらかの統計学的根拠でもあるのであろうか。166cmの私にとっても、ちょっと低めの机なのである。私より背の高い人はどうしてるのだろう。丼を机に置いてしまうと、口までの距離が長い。もしや、この距離で麺を冷ますのであろうか。でも失敗したときにプツンと切れて落下した麺で汁が飛び散るのは頂けないような気がする。というわけで、私は器を左手で持って食す。どうやら、立ち食いの方が上半身は行儀がよい。

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当時の本 『反常識の対人心理学』相川充(生活人新書,本体680円+税)反常識というのは、非常識でなくて、偏見や固定概念に縛られないという意味だそうです。
当時の世 ソルトレーク五輪。
当時の私 自宅で白い息を吐いてるのはいかがなものか。実家からこたつ布団が届いた。なお、私の部屋にはこたつはない。炬燵って漢字で書いたら、なんだかメラメラ。子供の頃、お好み焼きの上でユラユラゆれてるかつおぶしを見てるだけで愉快だったのだがなぁ。

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