(む}Let it be?

Date: Mon, 04 Feb 2002

片づける。

  1. 整理整頓する。
  2. 仕事を終わらせる。
  3. 相手を亡きものにしてしまう。

私は片付けが苦手である。敢えて片付けるのは、仕事を片づける前に、現状からの逃避の方向で「まずは、片づけないと仕事になんないからな。」などと独りごちながら、「お片付け」を始めるのである。普段、ろくに片づけずに仕事をしているにもかかわらずである。新人の時の研修で、計画から片付けまでが一つのサイクルだと言われた気がする。但し、片付けるのは本来、最後にするものであって、最初にするものではなかろう。

大学生の時の先生に、「自分の実験スペースをきれいにしておくのは、いい仕事をするには当然のことだ。」みたいな感じで注意された記憶がある。私のエリアはお世辞にもきれいではないので、あんまり、いい仕事の結果は残せてないのかもしれない。ま、大作家のお部屋が散らかってるってのもあるらしいしなぁ。と、自分は大作家ではないのに思ったりする。

「反省してないなぁ」と反省して、「予定を立てること」と予定表に記入する。「メモを見ること」とメモ帳に書いて、もっかの最大の悩みは、「私は悩んでいるのであろうか?」
思考の構造からして、すでに、現実から一段ずれてる気がする。

よくこんな散らかした部屋で平気で暮らしてるなぁ。なんて思いつつ、暮らしているのは、他ならぬ私である。面倒くさいからやらないというわけではないのだ。いざ、やりはじめると、自分でいうのもなんだが、結構真剣にやるのである。ただ、普段、特に不都合を感じないからやらないのである。だいたい、よく使うものは手近なところに散らかっているのだ。当然、たまに「あの時のあれ、どこにやったっけ」ということは起こりうるが、それは「たまに」だからよしとしている。

布団と私の摩擦係数が大きいのか、なかなか起きてこない。痛みを伴う構造改革は、痛いのは嫌だけど、痛いのが気持ちいいマゾヒストならば、平気かもしれない。布団の上で意識不明の重体な私である。たぶん、明日の朝には目が覚めるだろうという期待のもとに寝ている。一日寝かすと発酵するかもしれない、、、腐敗していることもある。

部屋を片付けているうちに、そのうち大きなゴミ袋が何個もできる。どうやらゴミの盆地に暮らしている私である。だいたい、私が自分ちで発生させるゴミの大部分は空き缶であるにも係わわらず、空き缶の回収日は週に一回火曜日だけなのが困る。私の生活形態では、週に1回、可燃物の日で、残りは空き缶回収日でもよい。生ゴミや粗大ゴミは私自身くらいなものだが、私を捨てると私の居場所がなくなるので、捨てる予定はとりあえず、ない。

んん、片付けが片づかんなぁ。このままでは、まるで散らかしてるみたいではないか。そうしてなかなか本題に入らない。入念に準備運動をしてたら、疲れたのか飽きたのか。思考の体力がない。

そうこうしてるうちに時間がなくなってくる。一日が終わろうとする。締切りは迫る。どっかのエラい作家が「締切りが執筆への原動力だ」などと言ってたとか言ってないとか。どっかのエラい哲学者が「明日できることは今日しない」と言ったとか言わんとか。なお、私はエラい作家でも、エラい哲学者でもないのは言うまでもない。

ああ、ぼくはいつまで生きていけるだろう。なんて漠然と考えてる暇があるなら、とっとと片づけた方が良さそうな懸案があるではないか。でも、「まずは寝てから疲れを取らんと、仕事にならんしなぁ。」と寝入る。たぶん、次の日の朝には「寝たのに、ダルいなぁ。」と言い訳から始まることは、想像に難くない。久しくずっとダルいので、これはこれであるがままで、しかたがないか、と遅い手をグズグズと動かしてみたりする。体調万全で、準備万端で、ノーミスなんて状況はないのだから。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
当時の本 『脳と自然と日本』養老孟司(白日社,本体1500円+税)「ああすればこうなる」脳化社会の中で、身体という自然を抱えた人はどこへ向かうのだろうか。
当時の世 田中外相更迭。海老一染太郎さん死去。
当時の私 肩凝りと下痢が続いている。

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おなじみ、ハイブリッド新辞林によると、
かたづ・ける【片付ける】(動下一)
  1. 散乱している物を,きちんと整頓する。「机の上を―・ける」
  2. 物事を処理・解決する。終わりにする。「仕事を―・ける」
  3. 娘を嫁にやる。嫁入りさせる。
んん、今時な時代では3番目の表現は、しかられるかもしれんが、、、ま、片付いてない息子の私としてはコメントを差し控えることにする。