(む}Help me!

Date: Mon, 16 Dec 2002

かれこれ、2ヶ月ぶりくらいでしょうか。発行するのは。このままだと年を越してしまいかねないくらいの勢いの無さの私なので、久しぶりに書いてみたりして。私に勢いがなくても、月日は容赦なく背中を押してくれるわけで。部屋が寒くて、キーを打つ指が震えます。いえ、けっして、アルコールが切れたからではありません。


朝、通勤電車に乗っていたら、若い彼女には通学電車であるらしく、その彼女の友達らしい相方に、彼女は言うのだ。

「つうか、誕生日過ぎちゃったんだけどぉ。17と18ってなんか、違くね?なんか、すげぇ歳くっちゃったって感じ。」
「つうか、よくわかんねんだけど、そうなの。」
「つうか、19と20も、かなり違うらしいよ。」

そうなのか。そんなに重大な違いがあったのか。私は今まで、そんな重大な違いに気づかずにいたのか。気づいたとしても、もう、かなり手遅れな気がする。いや、気づかずに無事に過ごせたのだから幸せな気もする。


夜、通勤電車に乗っていたら、赤黒い顔をした彼には、果して、通勤電車であったのかは謎なのだけど、、、

その日は、それが最終電車だった。

彼は何か慌てるようにして、ドアに挟まりながらもホームに降りた。

でも、どうやら、私が降りた駅は、彼の自宅の最寄り駅ではないみたいなのである。

「つうか、最終かよぉ。電車、もうないよぉ」

彼が無事に家にたどり着いたかは知らない。ま、いい大人なんだから、なんとかして着いたに違いない。 乗り過ごして終点で起こされるのと、どっちがつらいのだろうか。よく分からない。 でも、たしかに、同じ路線の駅なら、どことなく雰囲気が似てるような気もする。同じ設備を使うからだろうか。でも、酔ってても、自分ちの最寄り駅くらいは間違えないようにしたい。


昼、町を歩いていると、クリスマスが近いからだろうか。街ではサンタがバイトをしている。ピザを配ってたり、ビラを配ってたり、レジを打ってたり、プレゼント代稼ぎのために働いている。

あ、違った、サンタがバイトしているのでなくて、バイトがサンタしているのだったか。

それにしても、西暦がキリストの生まれた日を基準にするのならば、なんで元旦がクリスマスにならないのだろうか。


何の気なく駅を降りた私に、満面の笑みをたたえた人が、何かの助け合いの募金を勧めるのだ。

私は、どうやら、大過なく、過ごしている。たぶん、私は幸せなのだ。でも、どこか、募金するっていうのに、自己満足が入っているような気がして、相手の人がどんなに辛いのか想像が及ばないのだけど、見ず知らずの私がお節介に、募金する問題だろうか。

なんて思ってるうちに、帰り道もその募金の人の前を通りすぎるのがなんか嫌で、一本、横道にそれて帰ってしまう自分が、なにか違う気がする。


何の気なく駅に向かう私に、どうでも良さげな表情をした人が、「お願いします」と、ティッシュとチラシを配っている。

お願いする態度ではないような気がする。でも、風邪っぴきで、鼻がズルズルいう私には、ティッシュが必要ではある。

たしかに、ティッシュはいるが、チラシに対しては、お応え致しかねる。なので、ぼくは、水平に掌を出してティシュを貰うでなく、垂直に掌を出して、軽く会釈して「受け取れません。すみません。」と意志表示をしつつ、立ち去る。うかつに受け取っては、また、「買うべきか、買わざるべきか」と悩まなくてはならなくなるではないか。でもまぁ、概して抑制型の私は、「やらない」方を選択しがちである。行動力がないのである。

しかし、ビラ配りの彼らに取っては、応える応えないに関わらず、ビラを受け取るのが、彼らの為になるのではないのか、どうなのか。彼らにとっては、配ることが仕事であって、客を引くのは、配られたビラの役割ではないか。

私はそして、コンビニに立ち寄って、自分の財布から対価を払って、箱ティッシュを手に入れるのである。クリスマス仕様の、その箱ティッシュは、おやすみの常夜灯の下、微かな蛍光を光らせて、ツリーやサンタの絵を浮かべている。

---MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS------------------------------------
近頃の本 『記憶がウソをつく!』養老孟司、古舘伊知郎(扶桑社,本体1429円+税)忘れるようなことは大事ではないんだという案もあるが、大事な気持ちが少ないものは、忘れてしまいがちである。
近頃の世 靴底にコロを内蔵した少年少女が、街でローラー駆動している。
近頃の私 風邪引いてまんねん。

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