Allergen アレルギー原因物質

本郷猛は改造人間である。仮面ライダーに変身して、悪の秘密結社ショッカーと戦うのである。

村上健は目がかいいぞぉ人間である。花粉症を発症して、偏頭痛やクシャミと戦うのである。

アレルギー性鼻炎と、アレルギー性結膜炎と、クシャミの連発によって誘発された肩凝り筋肉痛、また、それらに起因する頭痛に悩むわたしです。

端的に言えば、花粉症ってやつです。でも「花粉症」って言っちゃったら、何だか近頃の流行にのっちゃったような感じでヤダ。こちとら、物心ついた時からアレルギー体質だ。アレルギーの原因になるアレルゲンが花粉であるものを花粉症と言うのであって、一概にアレルギー性鼻炎が花粉症であるとは限らない。

この他に私は、仕事アレルギーと女性アレルギーという重篤な病を患っているが、そちらはもっぱら「気質」の問題であって、「体質」の問題ではない。

近頃は、すっかり花粉症も市民権を得てしまったので、町中には大きなマスクをした人をたくさん見かける。すこし昔なら、どんなに症状がつらくても、あんなでかいマスクをしたのでは、さすがのキレイなおねえさんも口裂け女の疑いをかけられることを恐れて出来なかったという。いや、それが本当かどうかは定かではない。

先輩が花粉対策ゴーグルをして「いいでしょ。」と言ってた。あれをして鉄の棒を振り回して「あ”ー」とか言えば、ぼくの好きな『鉄コン筋クリート』松本大洋(ビッグスピリッツコミックス)のクロみたいになっていいかも。とすこし思う。

こないだ、ごついゴーグルとマスクで武装したお母さんが表で赤ちゃんをあやしているのを目にした。「お母さん。そんなにしてまでお子さんをお外に連れ出したいのですか。」「アレルギー体質は遺伝するから、完全武装のお母さんはよくても、お子さんはヤな花粉に晒されてるのかもしれませんよ。」「やぁ赤ちゃん。君は昔の武闘派学生みたいな格好のその人の顔を、お母さんと認識できるのかい?」

物心ついたころからアレルギー体質の私が物心ついたのは、保育所に預けられていた頃である。何日かおきに体質改善のための注射を打つために医者に行くことになっていた。「今日はお医者さんに行く日だから」と保育所のお昼寝の時間をブッチして、親の車に乗せられて医者まで行ってた。

受け付けのおばちゃんが言うのである。「むらかみけんさ~ん。どうぞ~」始めの2、3度は「あのぼくは、むらかみたけしなんだけど。」と訂正を求めたが、おばちゃんは「ごめんねぇ。おばちゃん、「けん」の方が好きやねん。」たぶん、おばちゃんは「健」の字を見ると高倉健か宇津井健しか思い浮かばないのだ。

「健」の字を説明するのに、しばしば、「健康の健、すこやかって字」と言ってたのだが、体の調子を崩して医者にかかっておいて「健康の健」もないだろう。だから、ぼくは医者に行くのが苦手である。おっと医者アレルギーも患っている私であった。

小学校前のぼくを、丸くてクルクル回るイスに座らせて、背もたれもひじ掛けもあるイスに座ったおばちゃんのお医者さんが言うのだ。「いまから、ホコリとタタミとブタクサの注射するからね。こわくないよ。」いまでこそ、これらがアレルゲンの名前だなと認識できるのだが、お子様のぼくは「なに、畳や埃を注射されるのか。それに豚草ってなんや。ブタクサって、おいおい、訳のわからんもんを注射せんといてやぁ」である。

ぶたくさ[豚草] キク科の一年草。北アメリカ原産。明治の初めに渡来、荒地などに群生。高さ約1m。葉は2~3回羽裂。夏、枝先に黄色の雄性頭花を穂状につけ、葉腋に雌性頭花を少数つける。花粉は、アレルギーの原因になる。(『辞林21』より)

ブタクサ花粉が飛ぶのは夏から秋である。この春に飛ぶ花粉でぼくがアレルギーを起こすとしたら、子供の頃の対策はまったく無力であったと言える。

寮の部屋は畳だし、散らかした部屋にはホコリが溜まっている。そんな環境でも無事に暮らしてる私である。いくらかのアレルゲンに晒される環境には慣れたのかもしれない。アレルギーは体の過剰防衛だ。

都会の水に慣れた人が、きれいな水を飲むとかえって腹をこわすこともあると聞く。そのうちきれいな空気を吸ったらなんだか息苦しいなんてことになったら嫌だな。『風の谷のナウシカ』ではないけれど、汚れた世界の中で生きるように体を変えてしまった人類は、腐海の尽きた向こうにある清浄の地では生きられないのかもしれない。でもナウシカは力強く言うのだ。「生きねば」

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS—————————————
近頃の本 『絶滅女類図鑑』橋本治(文春文庫,550円)90年代、女性はどう変わったか。


近頃の世 動燃、爆発事故
近頃の私 毎晩のようにお世話になっているコンビニの店員さんが言う。「おはし、お付けしますか?」ぼくは思う。「おはし付けますか?」か「おはし、お付けしましょうか?」くらいが妥当じゃないか。「おはしをお付け致しましょうか?」はちとクドイ。なんにしても「お」をつけりゃそれだけで丁寧にした気でいるんじゃないか?この台詞を聞くのが嫌だから、ぼくは箸付きの弁当を買うのである。

 

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