ここ数年くらいだろうか?自分の生き方として楽になったなぁと思うことを書いてみる。
それは
反省しない。予定は立てない。
である。
世の中には手帳や、スマホのスケジューラーにビッシリ予定を書き込んで、それを実行して生きている人はたくさんいるだろう。予定通りこなすことが楽であり、こなした後の達成感をやり甲斐にしている人もいるに違いない。
私も一応?社会人なので、社会的に生きてみようと色んな手帳術を本やネットで読んだり、実際に買って試したりしてみたが、結局なんでもメモとしては生き残っているけれど、スケジューラーとしては機能していない。
私の性格に問題があるのかもしれない。また、私の仕事が、あまり、他人と関わることがない(特に一対一のFace to Faceなタスクがほとんどない)。おまけに私は人付き合いが得意ではないというか苦手だ。自分に厳しくないけど理想は高いらしい。
若い人の理想主義は、しばしば完璧主義と癒着して、その理想に達することがないとなると、途端にやる気をなくすことがある。
そろそろ色んな情報を摘まみ食いしながら半世紀近く生きてきて、ようやくいくらか腑に落ちてきているのは
・物事を始めるのにはヤル気は要らない。キッカケさえあれば良い。
・物事をやり続けるためにこそ、やる気はある。続けていればやる気が出る。やる気は燃料ではなくて副産物のような…エンジンでいうと排気ガスのようなものだ。
・あんまり、自分の意志の力に頼ってはいけない。
・理想というのは、行く先の遠いものであり、当面向かう目標ではない。達成できる目標が必要。
といった辺りか。
何かをやる方法というのは、あくなき改善が必要である。だけど、その改善のための反省は要らない。というか、日本語の「反省」というのが、どこか後ろ向きで感情的であり、前向き、建設的ではない。
反省しなさいと言われて「もうしません!気を付けます!ゆるしてください!」というシーンを何処で憶えたのか忘れたが、おそらく、親の躾か、テレビドラマの悪影響だろう。
もう少し若い頃の私は、「全くおなじことなど、二度と起こらない」と、謎の反抗をしていたものだ。
そりゃ、まったく同じことは起こらないが、手順とかコツのようなものは、多くのことに共通して存在するので、その技を磨く、習慣を作るのは大切だろうが、ホントにそのワンタイムのための工夫は、それをやっている時にするものであって、終わってから反省して編み出すものではない。
おっと、うっかり仕事術的なことを書きそうになっている。
哲学者のニーチェさんが言っている
「疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。
…
自分をだめだと思ったり、人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。」
長年、自分が司会のトーク番組をやっていたタモリさんは
「反省はしない」「反省ばかりしてるとバカバカしくてこれから先、やっていけない」「過去を振り返らない」
と言ってるとか。
それらに影響を受けたのか?自分の経験から湧き出たのか?
私は反省しないことにしている。
過去を振り返ることはする。後悔もする。でも「あの時、こうしていれば」とタラレバなことはネタ以外にはしない。過去は変えられないのだから。
同じように予定は立てない。
誰かの言葉であったか、経験から編み出したのか?
「カコはかわらない。ミライはわからない。」
一応、社会人なので、「何月何日に何所其処で」と人に会う約束はするが、これは一つのアクションアイテムであって、時間を決めた訳ではない。
「時間は管理できない。管理できるとしたら自分の行動だけだ」
と誰かが言っていた。
だからか、私はずっと学校の時間割というものに違和感を感じていたし、夏休みの勉強の計画表を作れと言われても何をどうすればよいか分からなかった。やることがあるのは分かるが、それが何で時間と結びつくのか?さっぱり分からないのだ。
人と会う約束は、今ならパソコンのアウトルックの予定帳とか、スマホのカレンダーアプリに入力して、憶えないようにしている。私は記憶力より忘却力が優れているからである。
格好よく言うならば、反省をせず、予定も立てないようにすると、今、現在に集中出来て、良い意味で刹那に生きることが出来る。最近、そう思っている。