Diamond dust 固い意志vs硬い石

婚約指輪のセールスの人と会った私は、心理的ダメージを受け、翌日すっかり鬱になって会社を休んだのであった。本来なら、断固拒否して話を切ってしまえばいいのだが、危なげな話に興味をもってしまうのもまた、私の性なのかもしれない。混乱した頭で、さらにとりとめなくなったので、長いしくどい。


そう、それは、いわゆる洗脳の第一段階の条件にあった状況であった。睡眠不足(午前零時前だった)、空腹(吐き気がして晩飯が入らなかった。)疲労(仕事後)、隔離(ファミレスのボックス席)そして、言葉を浴びせかけることによる従来の自己の否定。

空腹に関しては、この状況を予想したことによる妄想により調子を崩してしまい、食事を取れなかったせいである。時間と場所に関しては、提案は先方からであったが、こちらの了解を取っているという立場なのだろう。つまり、こちらが「自分の意思で、この場に臨んでいる」という設定。いや、たしかにまんまと自分の意思なのだが。

しかし、ご多聞にもれず、現状認識力と、論理的思考能力が低下している(もっとも、もともと私は、現状懐疑力と、直観的妄想能力の方が優位なので、上記の能力については自信がない)私は、相手の商法の前提の上に展開する理屈を論破する能力はなくなっていた。(別に論破する必要はないのだが)

ただ、「お客様の指示でこちらは、ご購入を前向きに検討いただけると、いうことで来ているのですから」というセリフに「その指示とか合意とかいうものの前提になる考え方に明らかに相違がある」としか言えなかった。相手の土俵の上は完璧に論理的整合を保ったシナリオがあるからである。

「じゃぁ、どう思われるんですか」という問いに、うかつに答えたら、「言い逃れのために、今、考えたんですか。卑怯じゃないですか。非常識ですよ。商談の場でそういうことを言うのは」と言われた。手法だとわかっていても、その種の言葉を浴びせかけられると、気が滅入る。しかし、「なんで、商談しようと思ってるなら、相手を罵倒するような(先方に言わせれば、こちらの非常識を説いて聞かせているつもりなのだろう)ことを言うのだろう」と思う。

相手は、シナリオに乗っ取って、「簡単な言葉の反復による思想の注入」という第二段階に入りつつあるようだった。私が発する言葉尻を捉えようと、一字一句聞き漏らさないように、熱心に耳を傾けてくる。こちらがボソボソ言ってると、「今、なんとおっしゃいましたか?」と確認される。

私は立ち上がって逃げることにした。「お断りします」
「どうしてですか?理由を聞かせてください。なぜいきなり席を立つんですか、失礼ですよ。あなた、ご自分で話を聞いた上で判断すると合意されたのに、まだ、話をしていないんですよ。非常識過ぎませんか?」

いわゆるアポイントメント(約束)というのを名乗る以上、「こちらの指示で動いていると納得させる」動作が必要であるから、無碍に断って失礼だと思われようが、「断固とした拒否」のあとはないはずなのだ。散々、「おとなげない、非常識だ」と誹りを受けた私はお子様理論で「逃げなきゃ」と思った。

でも、通常でない、非合法な展開があるとすれば、どうなるのだ。ぼくは、それが少々、いや、かなり「やばい」感じを持っていた。

「二十歳やそこらのガキを相手にしてるんじゃないんです。あなた、28でしょ。常識がなさ過ぎますよ。そんなのじゃ、ただの世間知らずで終わっちゃいますよ」
「そうなの?そういうのは常識なの?」
「当たり前ですよ。それじゃぁ、私が、「そういうのは常識なんですか知りませんでした」って言って、あなたにひどいことしても許されますか?」
「そりゃ、ひどいことされるのは困るわな」と笑って答える私。
「なに笑ってるんですか。真剣に考えてないから笑うんですよ。不誠実ですよ。」

相手は表面上、「一般常識」を説いて聞かせる風を装っていた。私は、表面上、笑っていたが、私の意識下では、被害妄想が起こっていた。


翌日、起きると、空は嘘臭いくらいの青空だった。晴れやかな朝のはずが、なんだか、この世全体がぼくを否定しているような気分になった。全身が痛かった。頭は重かった。まぶたはピクピク、胃と腸はゴロゴロと痙攣していた。口をついてでる独り言は「だめだ」「いやだ」そして、深いため息ばかり。

昼頃までゴロゴロして、自分に「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせながら、空をみると、雪が降っていた。すこし体が動くようになってきた。外に出てみようと思った。

それでも、「立ち上がった瞬間に用件を忘れる」「トイレに行って水を流し忘れる」「電車に乗ると目的駅を乗り過ごしてしまう」と健忘の症状が出ていた。「だめだ」「いや、だめといっちゃだめだ。」

精神安定剤を飲もうかと思ったが、さっき胃薬を飲んだばかりなので、やめた。

自分はたいそうガキだと思った。でも電車の中で見たガキはもっとガキだった。やっぱ単にガキなままってわけでもないだろ。と極めて弱い自己肯定をした。

仕事、やらなきゃな。昔から、こういう時の一番簡単な処方は、一所懸命に仕事をすることらしい。

脱洗脳というのは、なんのことはない、別の洗脳をかけるだけの話である。ひょっとすると、仕事をすることだって、「仕事教」の洗脳かもしれない。ただ、一般に、ふつうに仕事をこなすことは、ずっと健康的なことである。

私は、私が思っている以上に魂が摩滅していた。私は、私が書いた文章を読み返しながら、脳のすすぎをしていた。

—MURAKAMI-TAKESHI-UP-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本 『おやすみなさい。』小田原ドラゴン(ヤンマガKC, 524円税別)内気な男、上野鉄郎のトホホ加減に共感したりするのである。


当時の世 日本海側で大雪。
当時の私 「大人」「仕事」「女性」「結婚」「指輪」「常識」「礼儀」そのあたりをキーワードとしてコンプレックスが形成されているようだ。

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