Power of elder 「力を抜く」力

「敬老の日だから、早く、けえろう」

というのは、年一回、この時期に、私のボケ師匠である父が、夕方の配達の途中にかます年中行事のうちの一つであった。いつからそれを言い始めたのか、残念ながらぼくの記憶はここ25年くらいしかないので定かでない。

昭和十六年生まれの父は、いまの予定で行くと21世紀初頭に還暦を迎える予定になっている。歳をとるというのは、「予定は未定」という中でも、かなり確実な予定なのだが、まだ1998年の誕生日も彼は済ましていないから、都合あと3年は生きておく必要がある。

「もしもし、ちょと声が聞きとなって電話してみてん」
「自営業はサラリーマンとちがって、週休二日やないし、ボーナスも定年もないからなぁ。」

というネタを電話する度に飽きもせず言うので、すでにボケが始まっている可能性が高い。もっとも、ボケ師匠なだけに、私が物心ついた頃、つまり彼が30代前半の頃にはすでにボケ倒しであったから、十八番のネタなのかもしれない。

配達の時には、助手席に載せた幼いぼくに対して、軽トラのハンドルをにぎりながら、「母シワがない32歳、父さんシクシク36歳」とのたまって、九九の四の段の最後二つだけ教えてくれた。母の年齢がごまかされていたことを知るのは2、3年先のことである。

また、ある時に、どんな話題であったか、「きちがいに刃物」ということわざを教わった(このことわざも言葉狩りの影響で使ってはいかんのかもしれん)のだけれど、塾の国語の問題に「○○○○に刃物」の空欄を埋めるのが出題されても「どうせ、うちのお父さんがいうのはボケに決まってる」と思って、解答欄に書かなかったことがある。

「敬老の日だから早くけえろう」の父は、早く帰って田舎に電話したりしていたが、田舎のばあちゃんは本格的なボケで、父の年齢は中学生になっていた。ぼくは「中学生の息子の下に孫がおるとは思っとらんだろうな。」と思っていたので、ばあちゃんの実感はなかった。ばあちゃんはもうこの世にいない。

ぼくも、やっとこ四半世紀と少し生きてきた。人生五十年の昔なら折り返し地点。まぁ平均寿命が80な現代なら3分の1といったところか。人生をマラソンにたとえる人が時々いるが、どうしてマラソンにはいつも折り返し地点があるのだろう。単にスタート地点の陸上競技場をゴールの時も使いたいだけじゃなかろうか。それとも、ゴールの前には幼児退行することの隠喩なのか。

とりあえず、長い距離を走るのは苦手なので、目の前の電柱目指してチョロチョロ走る。電柱に着いたら次の電柱。マラトンからアテネまで、電柱は何本立ってたか?

こないだ初めて、敬老の日に届くように、両親に贈り物をした。母にはふくらはぎのサポーターみたいな爪先のないストッキング。父には底にイボイボがついていてツボを刺激するという靴下。ちょっとお約束がかっているが喜んでいるようだ。

「敬老の日に送られたら、年寄りみたいやんか。せめて誕生日プレゼントにしてや」と言うが、あなた、誕生日こそ歳をとる日じゃないですか?

歳をとって、体が重くなって、感覚もにぶくなって、生活するってどんなんだろう。新聞の字もろくに見えてない父は、遠くの表札の文字が見えることを誇らしげに言う。ま、それは慌てなくても、生きてればそのうち体験できることなので、とりあえずは、まだ若い今の生き方を考えた方が賢明かもしれない。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本 『老人力』赤瀬川原平(筑摩書房, 1500円)物忘れがひどくなったのを「近頃、老人力がついてきたなぁ」と言い換えてみる。なんだか、いま自分がとりあえず若いのがくやしくなる。『老人力のふしぎ』(朝日新聞社, 1400円)と併読すると、紅白そろってめでたい。


当時の世 日本の6分の1は高齢者らしい。
当時の私 いま、高齢化社会を危惧するのは、高齢化を目先にひかえた熟年だろう。ぼくが、生き長らえたとして、まぁ、40年くらい先か。どんな世界なのだろう。危惧よりも不思議な感じがする。

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