I live in chaos 整理整頓のこと

ぼくは、今、寮に住んでいる。今年度が在寮期限の最後らしいので、来年の今頃はこの部屋にはいないことはわかっている。

入寮した当時は、「これを機に、本やら雑誌やらCDやらビデオやらを買い込むのはやめよう」と思っていた気がするのだが、その決心は、半年もせずに転んだので、今、部屋の片側の壁と押し入れの一角は、ここ2年位で購入したそれらの物たちで埋まっている。

仕事から帰った晩に、「村上くん、そろそろ、ちょっと片づけようか」と管理人さんから注意を受ける。どうやら、まめに、部屋の点検をされているらしい。

時折、「明日は代行管理人(女性)が巡回するので、部屋の整理整頓をすること。」などという掲示があったりして、「なんで、わざわざ、(女性)と書くかなぁ。女が来るから片付けろってのかい?冗談じゃねぇや」と、かえって散らかしっぱなしにしてみたりするあたり、大人気ない。いや、お子様である。

今週は火災報知器の点検のため、ぼくが出勤して留守の間に、業者が部屋に入ってくるらしい。火災感知機は押入れの天井にもあるので、業者は押入れの中も見るということか。なんだか、嫌な気分だが、ま、自分の預かり知らぬところで展開される自分の恥にまで気を回していたら、つい、「生きてて御免なさい」な気分になりがちなので、極力気にしないようにしている。

それでも、少しくらいは片づけておこうかな。と思う。大学の時の恩師の「実験室の散らかってる奴の実験結果は信用ならん」という言葉が頭の中でリフレインする。ややトラウマを形成している恐れがある。

ぼくが部屋の整理整頓をするのは、なんらかの仕事の準備とか後片付けというよりも、片付けそのものが目的であったり、何かの仕事を始めなければならない前の逃避であることが多い。いや、多いどころではない、ほぼ100% そうだ。「ま、まずは、お片付けせんと、始まらんわな。」である。

たしかに、客観的に見ると、「ただ、単に、ちらかっている」様相を呈しているぼくの部屋であるが、主観的には「散らかしているのではない、適当に置いている」状態である。良く使うものは、手元に近いところに転がっているし、ずっと使っていないものは地層の下の方で化石になっている。

本はとりあえず、背表紙が見えるように並べるなり積むなりしたい。ゴロリと寝ころがった時に目に入った背表紙のタイトルを眺めるだけでも、いくらか中身の反芻になる。

雑誌は上に積んであるものほど最近のものだといえるだろう。そろそろ下の方の化石を捨てるようにした方がいいかもしれない。実家からも、「捨ててもいいか」という問い合わせ電話が来る。ぼくが家を出る時には「触らんと置いといてやる」と言っていたが、そのうち、「散らかってるから、きれいに並べかえたげた」と親切なことをしてくれたので、たまに実家に帰って、「あの資料はこの辺に埋まっているはずだ」と思っても、うまく発掘できない。

それに、化石には時間的に寝かしたことによって、新たな価値が生まれていることもある。一様に、古いものは捨てればいいというものでもない。

「整理整頓」の「整理」が論理的に配置すること、「整頓」が物理的にすっきりした状態に配置することと解釈すると、ぼくの部屋は、「整頓」はいまいちだが、「整理」はされていると言える。ぼくはぼくなりに、何処に何があるか大体わかっているからである。だから、本人でない他人に配置を変えられると、その整理された状態が乱される。とは言え、多くの場合、この理論は受け入れられず、「ごちゃごちゃ屁理屈を言っとらんと、さっさと片づけよし」ということになる。

紙は束になると結構重い。実家のぼくの部屋は畳が1cmくらい沈んでいる。次の引っ越しの時も大荷物になってしまうかもしれない。そろそろ半年くらいの計画で、資料のダイエットをする必要があるかもしれない。資料といいつつも、実際に再読して記事なり内容なりに当たることは、たまにしかないのだから。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本 『マジック・ランチャー』庵野秀明×岩井俊二(デジタルハリウッド出版局, 1500円)『エヴァ』の庵野さんと、『スワロウテイル』の岩井さんの対談。ものの生まれるところ。


当時の世 「暑い。」というか「熱い。」というか。
当時の私 床屋に行って、尻尾を切った。

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