Fortune-telling 非売品もしくは表のみ

「うらない」は商売にならない。「売らない」からである。しかし、占い師を職業としている人は存在する。中には昼間は普通のサラリーマンで夜だけ駅前の商店街に出没する兼業占い師もいる。

「うらない」は根拠がない。「裏ない」からである。それでも、つい、信じたくなる。だがしかし、現実の客観的把握に基づく予測だってどれほど確実な根拠であるかあやしい。天気予報は当たらない。昔から、「信じる者は救われる」と言う。信じない人には占いで予測された事態は起こらない。起きたとしても、それは単なる偶然である。ただし、「信じる人」は呪われる可能性も考えておいた方がいいと思う。

「いい結果の占いだけ信じればいいじゃん」という声もあるかもしれない。しかし、こと日本では「にわか信者は罰を受ける」と決まっている。ただし、「にわか信者」のレベルにさえ達してない人には罰は下らない。当然ながら御利益もないはずである。「信心が足らない」と叱られるには、まず、信者でなくてはいけない。

それに、ご都合主義な人は、何事が起ころうが、都合のいい解釈しかしないから、なにも占いに頼る必要はない。ただ、なんらかの行動へのきっかけとして、あるいは言い訳として有効に作用するとすれば、意味があるのだろう。

毎朝、新聞や雑誌の占いのコーナーに目を通すのが日課になっている人がいる。私に言わせれば、朝っぱらからそんなものを読んでいたのでは、洗脳の第一歩、何か事が起こる度に「そういえば、今日の運勢に…と出ていたな」という妙な心理的誘導を誘発するだけである。しかし、それによって精神の安定が図れるのならそれはそれで有効であるかもしれない。

でも、「今日は運勢悪かったからなぁ」なんて思いながら生きていたのでは悪いことが起こっても仕方がない。

私の両親はA型であるので、どう転んでも私はAかOなんだが、ひょっとすると占いで言うAB型なのではないかと思うことも多い。調子のいい時の私しか知らない人には「B型?」と言われたこともあるので。私は血液型占いを信じていない。だからと言って血が繋がってないのかと言えば、何気に、うちの親は私と似ている(逆か?)。枕の下に腕を入れて寝てしまって腕が痺れるところなどは母にそっくりである。

ただし、獲得形質は遺伝しないという前提に基づけば、おそらく幼い頃に添い寝してくれた母の行為を見て真似をして身についたという説の方が妥当だといえる。

星座占いというのも不思議である。手元に転がっている雑誌の一コーナーによると私が属する牡羊座は3/21~4/19である。私は4/11生まれであるらしいので、牡羊座下旬。もうけっこう、牡牛座寄りである。だから、私はちょっと牡牛座のコーナーも読まなければならない。

ちょい前に、13星座占いとかいうのが話題になったときは、へびつかい座というのが新たに登場して「へびつかい座の女性は魔性の女」などというトホホな解釈がまかり通ったものである。それなら「へびつかい座の男性はレッドスネークカモーンの東京コミックショー」であることになる

さしずめ、牡羊座の私はストレイシープであろう。ん?そうかもしれん。しかし、羊と牛だけなんで性別が決まってるのだろう。山羊は単に山羊座である。ま、たてがみのある獅子はおそらくオスだろうし、乙女はニューハーフでなければメスであろう。双子は二卵性だと性別が違うかもしれない。射手座は人かどうかもわからないし、蟹や蠍は漢字で書かれるとどっちがどっちかわからない。天秤や水瓶に性別はたぶんない。ちなみに、13星座だと、私は魚座である。

私は占いのバックナンバーを読んで、その時の占いが当たっていたのかどうかを見るのが好きである。ただし、つい信じてしまった場合は手前勝手な解釈をして「そうか、ここでこういう風にいっているのは、この出来事を暗示していたのか」と占いに好意的な見解をしてしまうので注意する必要がある。

手前勝手な解釈をしてしまうのなら、卦を立てて、易教を読み、そこに書かれたことを元に想像をふくらませて行動の指針を決める方が納得が行くんじゃなかろうか。易というのは想像(もしくは思い込み)によって、優柔不断な人に行くべきか、行かざるべきか決めさせるシステムなのである。

言うまでもなく、昔から当たるも八卦、当たらぬも八卦というから、卦を立ててる暇に、仕事の一つや二つくらい片づけた方が良いのだが、それができるような人なら占ったりはしない。

念のために書いておくが、私は行動を起こすのに、いちいち占いにお伺いをたてる人ではない。ただ、いわゆる「意味のある偶然」にはいくらか関心がある。でも偶然に意味を見つけるのは人の勝手だし、まったくの偶然にはまったく意味はなく、意味があると感じるのは勘違いかもしれない。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS———————————–
当時の本 『潜水服は蝶の夢を見る』ジャン=ドミニック・ボービー著、河野万里子訳(講談社, 1600円)左目のまぶたを動かす以外は体が不自由なロックトインシンドロームにかかった元ELLE編集長の著作。明瞭な彼の意識は唯一まぶたの動きによってのみ外部に飛翔する。


当時の世 アメリカで銃を乱射する子供
当時の私 くもりガラスはテープを貼るか、濡らすかすると、少し向こうが見える。

 

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