のそのそと陽気に誘われて出掛ける。
財布の中が空っぽだ。迂闊に財布の中を裕福にしていると、つい、何か買ってしまうので注意が必要だが、まったく入っていないというのも何なので、銀行のキャッシュコーナーに行く。

いらっしゃいませ。ご利用になるお取引のボタンを押してください。カードをお入れ下さい。ピッピッピッピ。

セキュリティーの為か、「暗証番号を押してください」という案内は省略されていることが多い。

金額をお入れください。金額をお確かめ下さい。

ここで、両替ボタンを押して、福沢君を10人の夏目君にしたりすると、財布の中から消えていくスピ－ドが早くなる。試料を細かく砕くと、表面積が増えるために、化学反応が速くなるのと同じ理屈だろうか。

紙幣をお取りください。カードをお取りください。ありがとうございました。いらっしゃいませ。ご利用になる…。ピッピッピッピ。金額をお入れくださいご利用になる…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ。金額をお入れください。ありがとうございました。いらっしゃいませ。ご利用になる…カードを…金額をお確かめ下さい。ありがとうございました。いらっしゃいませ…

同じような機械が、複数ならんでいるので、次々と輪唱が起こる。頭がクラクラしてくる。

いらっしゃいませ。本日はこちらでおめしあがりでしょうか。ご注文をどうぞ。てりたまバーガーセットですね。お飲み物はなんになさいますか。コーラで。以上でよろしいでしょうか。お時間少々いただけますでしょうか。恐れ入ります。お会計の方、先によろしいでしょうか。てりたまバーガーセットで525円になります。 1025円からおあずかり致します。500円お返しになります。まもなく出来上がりますので、少々お待ちください。大変お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ。ありがとうございました。ご注文まだのお客様こちらでおうかがいいたします。いらっしゃいませ。本日はこちらでお召し上がりでしょうか…

同じような顔の店員さんが、同じ服を来て、同じトーンで同じようなセリフを言っている。次々と輪唱が起こる。頭がクラクラしててりたまバーガーの味がよくわからなくなる。トリプルマックの時は、いきなり３の倍数の計算もしなきゃいけなくなって100％ビ－フのミートを焼く係の人は大変だったのではなかろうか。月見バーガーだと目玉焼きの黄身を壊すとＮＧな気がするが、てりたまならつぶしてもよさそうだ。いや、意図的につぶしているのか。ま、パンに挟まれたらわからない。てりたまはおいしいようだが、パンと具がすぐ分離するので食べづらい。

とりあえず、腹を落ちつけて、電車に乗る。

切符をお取り下さい。ガチャン。切符をお取り下さい。ピコーン。駅員のいる改札口にお回りください。ピーピー。自動改札機をご利用下さい。切符をお取り下さい。ガチャン。切符をお取り下さい。ピヨピヨ。切符をお取り下さい。

自動改札機が登場して、久しい。それでもなお、これほどに強迫的に注意をうながさないと、切符を取り忘れる人が多発してしまう恐れでもあるのだろうか。頭がクラクラして座り込みたい気分だが、車内に空席はなく、ぼくはジベタリアンでもないので、その場に座るわけにもいかない。

クラクラしたまま、電車を降りる。底の分厚いストレッチブーツに、光沢のあるストッキング。サイドスリットのタイトミニの上は、やたらと胸の空いた肩紐で吊った服。その上にフェイクファーの付いたロングコートを着込んだ、ブリーチのかかったストレートのロングヘアの細眉の女の人が、暑い暑いと右手で顔のあたりを扇いでいる。はて、この人とはさっきすれ違ったはずだが、それにしても、暑いのならなんでそんなに重装備なんだろう。と思っていると、前からまたその人が来る。クローンでもリプレイでもデジャヴでも幻覚でもなく。

クラクラする。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本　『狂人日記』色川武大（福武文庫, 650円）最近の本ではないけれど読んでてなんだかなじんだ。ぼくは職場で時折ナルコレプシーにかかる。もっとも、単なる居眠りという説もある。

当時の世　金融ビッグバンとかいうのが始まったらしいが、バブル経済と同様、ぼくの生活への直接的影響はほとんどないのではなかろうか。そもそもそれが何なのか、ぼくは知らない。
当時の私　クラクラし続けると、クラクラクラクラクとして、そのうち楽々になるのではないかと楽観してみたりする。