More windy 春何番?

春分の日の2、3日前、突風が吹いた。春何番だかは知らないが、冬型の西高東低の気圧配置が崩れて、春向けになるから、この時期は風が強くなるのだそうだ。冬が西高東低ならば、北風ならぬ西からの風が活躍してもよさそうなものなのに、寒いのは北風と決まっている。

小さい頃、春一番てのは春先で一番強い風のことだと思っていたので、「なんで、春は終わってないのに一番と決められるのだろう」と思ってた。どうやら、強さではなくて、時期の問題らしいと気付いたのは数年後であった。

春にポカポカと温かくなって吹くのは南ということになっている。概ね北は寒い南は暑いというのは北半球の温帯圏に住んでいるから、そう思いこんでいるだけだろう。

東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

と昔の偉い人が歌っているところを見ると、やはり、南風ではなく東からの風が春の風なのだろうか。

古墳の石室の東側の壁には青龍が描かれるのだそうだ。東は青であり春であるから、若い日の昇るような勢いを青春というのだろう。その点では、私は幼い時から晩年だったのではなかろうかと思うときがある。幼児の時にすでに老人性の幼児退行をしていたのだが、見た目幼児であるために、周りにも気づかれなかったのではなかろうか。小さい頃から白髪があるし、4月生まれなもんだから、学年の中で早めに歳をとっていたので、余計にそういう感じを持っていたのかもしれない。

都市という、火の七日間の前の風の谷に住む人々は、春の風だというのに、「ビル風ですかね。」などという。まぁ、ビルの谷間で加速されているのは確かだけれど、なんかビル風と言われると何の趣もない気がする。

と、ここまで、せっかく高尚に話をすすめたつもりであったが、要は、風が強い、気象庁の強風注意報のお墨付きが出ようと、短いスカートで元気に登校する女の子が気になるのである。別に風であおられて「いや~ん、まいっちんぐ」あるいはもう少し上の世代な方なら「オー モーレーツ」な状況を期待しているのでは全くないと言えば嘘になるが、制服の拘束(校則?)力について考察したくなるというのが本当である。

どうして、そうまでしてその格好で登校、あるいは外出するのですか。
おそらく、それによって、若さと女性性が二翻upするのだろう。

私は、四半世紀と少しの人生経験の中で、ライブでパンチラと呼ばれる現象に出会ったのは片手で数えられるくらいしかない。しかも風で、まるでマンガのような捲くれ方をしているのなど、お目にかかったことはない。マンガのように寿司を片手にぶら下げて千鳥足の酔っぱらいに会ったり、ネズミがかじるようなボコボコに穴のあいたチーズを食ったりしたこともない。

迷える青少年向けの投稿系写真雑誌なんかには、必ずパンチラ写真コーナーというのがあるしきたりになっている。私に言わせれば、写真にした時点で空間的チラリ感のみが切り取られて、時間的チラリ感が失われるので、これをパンチラとは認めない。だって、写真じゃ捲れっぱなしじゃん。ダメだ。刹那な感じがない。

認めないのであるが、おもしろいかなぁと、その手の写真ばかり切り抜いて、名刺サイズの紙に貼りつけてスクラップしてみたことがある。枚数がたまるとトランプのようにシャッフルして出してみたりしたのだが、その時、ふと、「俺、なにやってんだろ」という阿呆らしさと共に、「まぁ、要は腰の辺りに着いてる布でしょこれは。なにがありがたいんだか」と思った。

「ありがたい」ってのは「有り難い」であるから、めったに起こらないことに対する気持ちなのだと思われる。だとすると、ありふれてくると、ありがたくも、やらしくもない。もうちょっと隠しといてちょうだい。ということになる。

駅で電車を待っていたら、後ろでなにやらシャカシャカと衣擦れというには野暮なポリエステルだかポリウレタンだかのウインドブレーカーの擦れる音がする。振り向くと、なにやら女の子が制服のスカートの下にウインドブレーカーのズボンを履いて駅まできて、駅のベンチでやおらそれを脱いでいるのである。ズボンに引っ張られて、ルーズがルーズにずり落ちてしまうのでおもむろにソックタッチを塗って正しい位置に履き直し、「一丁あがり!」と相成ったのであった。

ちょっと前なら、駅や電車でソックスをルーズに履きかえる子を見て呆れたが、まぁ、上から履いているとはいえ、駅のホームでズボンを脱ぐか、しかし。ポケベルもピッチも衰退しつつあるのに、ルーズは生き残ってるのが不思議だ。でも紺ルーは野暮だと思う。まだ、赤で鉄腕アトムみたくなってる方がおもしろいかもとも思える。でも、紺系が多い制服に赤は合わせづらいかもしれない。

どうやら、膝丈のジャージとかスパッツとかショートパンツを制服のスカートの下に履いてる子はちらほらといる。土日のクラブ活動らしい日に見かけることが多い。このファッションもそれはそれでおもしろいなぁ。と思うが、温かくなってきたからそろそろ旬も終わりだろう。

生活指導の先生は、制服ではないものを制服に混ぜて着崩していることを叱るべきか。それとも、一応、制服だけど、あられもなく元気な生足を放り出しているのをはしたないと注意するべきか。どちらにしても、校則で規定するのはアホらしい話だ。かろうじて、ゴムなしスーパールーズは禁止という校則は平成10年度も適用であろう。

賢明な方はお気づきかと思うが、写真のモデルは私であるからして、もしも感じてしまったならば、自覚的ならある種のゲイの方。無自覚ならば、服装という記号の罠にはまった人である。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本 『その辺の問題』中島らも・いしいしんじ(メディアファクトリー , 1200円)ベタなボケ対談がおもしろい。


当時の世 春分の日を過ぎたので、昼の方が長くなったはずだ。
当時の私 春眠暁をおぼえず。どころか、太陽が南を過ぎたことにも気付かない。春分の日の私は午後から出勤して仕事をしていた。

 

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