Salary-man imitated サラリーマンもどき

御指摘を待つまでもなく、ぼくはあんまりサラリーマンに向いてない。しかしまぁ、月に約1回給料をもらうので、向いてようが、向いてなかろうが、サラリーマンである。別に、「旧来のサラリーマン像を打破し、新しい会社員像を模索したい!!」とかいう大儀があるわけでもない。

昔、『ひょうきん族』の「タケちゃんマン」のコーナーで明石家さんまが、出世をあきらめて恐いものなしの「サラリーマン」という敵役をやったのだが、スタッフ受けは良かったけど、視聴者受けは良くなかったのだそうだ。

今はみどり銀行とかいう名前になって、「なんや、三和銀行の親戚?」と聞きたくなるような看板の銀行が、まだ水色の看板をしていて「兵庫銀行」を名乗っていた頃(いや、まだアズキ色の看板をしていて「兵庫相互銀行」を名乗っていた頃かもしれん)、そこの扉には平仮名で「ひょうぎん」と書かれていて、それが「ひょうきん」と似ていて、そこはかとなくおかしかった。

就職して、横浜にやって来て、横浜信用金庫の看板に「よこしん」とあるのを見て、おもわず、「君は横綱審議会かいっ!!」と突っ込みを入れたくなったのと同種のおかしさだと思う。

さて、サラリーマンに向かなくても、サラリーマンをしているぼくは、実は、「サラリーマン」という単語が1970年代の高度成長期にのみ適用できる言葉なのではないかと疑っている。いわゆる「モーレツ社員」である。額に汗して塩が浮いたりして、そういえば、「サラリー」の語源は「塩」と聞く。

いわゆる、バブル経済の崩壊からこちら(個人的には、バブル期に自分の生活が豊かであったとは思えないのだが)、世の中の「まったり」としてくるのに伴って(実は、この「まったり」という語彙は、就職してこちらに来て覚えたぼくである。)旧来のサラリーマンは衰退していったのではないかと思う。あぁ、バブル期のヤンエグの方は今、どうしているのだろう。

「どのみち、サラリーマンってのも和製英語だしね」
「それにしても、労組とかいうのは60年代のまま硬直してるんかな」

はたして、サラリーマンに向いてないことに自覚的なぼくは、大学をジリジリと5年かけて卒業し、さらに修士課程に進学して2年間の猶予を確保し、じわじわ考えつつ、どうも会社に向いてなさそうだけど、いきなり個人経営に乗り出せるほどの、アーティストでもヤクザでもアントレプレナーでもないので、とりあえずもうちょっと学校においといてもらおうと思ったら、ぼくは人間の納期を守らない前科者なので、師曰く「規定の卒業年になっても、君、卒業せんだろう。面倒見切れん。」ということでクビになったのである。でも、ありがたいことに卒業証書を頂いていたりするのである。日本の大学は入るのが難しいが出るのは簡単などと言われるが、ぼくにとっては、なんとなく入れたが、出るのが難しいところだった。

近頃は理系の修士卒の採用も増えているようだが(単に進学率が上がっただけという話もある)、修士卒なんか「頭でっかちで、歳をとってて、使いづらい、その上、予想以上に幼い」のにどこに魅力があるのか。人事採用担当の思惑をはかりかねるのである。

「お願いやから安定した会社勤めをしてくれ」という親の遺言の影響も多少ある。(もっとも、両親はいまだ健在である。)また、迷える青年なりに不調な頭脳を回転させてシミュレートしたところ、「こりゃ、生活力のない俺が雲水を気取っても、悟りを得る前に飢え死にするわ」という結果が出たからという説もある。

周りには、いわゆる就職情報誌なんかで情報武装して、OB社員を相手に面接の受け答えのシミュレートなんかに余念がない人がいたりして、ぼくがいい加減なことを言うと「そこは、こう答えなきゃダメなんだよ」と教えてくれたのだが、(なんか、君、それじゃ、入試前に模擬試験受けまくるお子様と同じやん)と思っていたので、あまり真剣に聞いてなかった。それに、彼らはシナリオ作成にあまりに熱心で、ストーリーから外れた時のアドリブの効かなさや、うろたえ加減が(ほんまに、そんなんで、本番の面接、大丈夫なん?)と思ったものだった。(ま、無事就職されたようですが)

落ちたら落ちたで、天下御免でヤクザな生活もできるかもしれん。と思いながら、本番に臨んだ。用意していたネタと、いい加減なアドリブで、でも面接官を前にして、「やっぱ、世代の違う年配のお客さんを前にしたライブはツカミ難しいなぁ」と多少緊張しつつ、無事、制限時間を多少超過して終わった。

かくして、いまの職場にいるぼくであるが、あとで研修担当の人に聞くと、採用グループは「異才を採ろうとしたら、変なやつを採ってしまった」ということであったらしく、まんまと嵌められた感がなきにしもあらずなのである。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本 『会社図鑑!’99 天の巻/地の巻』オバタカズユキ/石原壮一郎(ダイヤモンド社,各1200円)
帯に「会社案内ではわからない つぶれない会社!」とあり、証券編では山一が紹介され、上書きで大きく「自主廃業」とあるのが笑える。でも、ちゃんと文章では「四大証券の中ではダントツで将来性なし」とある。(『type』誌連載中はまだ山一があったのね)しりあがり寿らの挿絵も良い。当時の世 世の中バレンタイン商戦なので、ただでさえ苦手なショッピングセンターやデパートに行きづらい。
当時の私 半年ぶりに髪を切った。

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