A boy meets a papa 母をたずねて・・・

コンビニでサンドイッチを買う。何の気なしに買った組み合わせが、チキンカツサンドとタマゴサンドだったりして、「おお、親子サンドセットだ。」と独りごちりながら、小市民的喜びにひたる。

一時期、「親子ちらし」がマイブ-ムであった時があった。イクラと一緒に鮭のフレーク状になったのが入っているちらし寿司である。そのマイブームの時期には晩にコンビニに行くと必ずと言っていいほど買っていたのだが、コンビニのメニュー変更でもあったのか、ある日からイクラが入ってなくて、ただの「鮭ちらし」になってしまった。

関東では「このイクラ、おいくら?」という駄洒落もできるが、同じことを関西でやろうとすると、「このイクラ、なんぼ?」になってしまって洒落にならない。また、どちらかというと、鮭のことを「シャケ」と呼ぶのも関西の方が多い気がする。ついでに言うと、あまり、「ちらし寿司」とは言わず「ばら寿司」という。厳密に言うと違う料理なのかもしれないが、どちらも白い酢飯の上に具を「ちらす」なり「ばらす」なりして乗せたものだから、およそ同じと思っていい。でも、酢飯の中に具を混ぜるような場合は、「五目ちらし」と言うことはあっても、「五目ばら」とは言わない。小さい頃は上にのったマグロやタコの赤が鮮やかでバラみたいだから「ばら寿司」なのだろうと思っていた。

海の幸で親子丼といえば、このイクラと鮭の組み合わせになるのだろうが、一般に親子丼と言えば、鶏肉と卵の丼である。

さて、ここで、ぼくは誰もが知っているのだが、タブーになっているのか、触れようとしない、さして重要ではないのかもしれないことが気になって仕方がないのである。

それは、

「親子丼に入っている、鶏肉と卵は、実はあかの他人であって、親子ではない。」

ということである。

牛肉と卵で作った他人丼というのを待つまでもなく、実は親子丼は他人丼なのだ。厳密に生産管理されたところでしっかり個体識別して、正真正銘の親子丼を出す店なんかがあったら、それはとてつもなく贅沢な料理になるような気がするし、なんだか急に情が移ってしまって食べられなくなりそうな気もする。

こないだ、電車の中で、個人的にDNA鑑定が依頼できるとかいう、「あなたは自信をもってパパだと言えますか?」というようなコピーで、立ち小便でもしているのか、ズボンを足首くらいまで下ろして、かわいいお尻を丸出しにした幼児の後ろ姿の写真が出ている胡散臭げな広告を見かけた。この週末にちょっと資料として写真に収めようと思ってデジカメを持って東急に乗ったが、その欄だけ撤去されていた。本当に胡散臭かったのだろうか?

なんで「自信」がないのは「パパ」なのかというと、おそらく、ママはおよそ10カ月おなかに抱えるので実感の強さが違うのだろうと推測される。でも人間はいろんなことをするので、単なる母親だけでなく。育ての親や、義理の親ができる。場合によっては、子宮の親や、卵子の親まで出てきそうなのが現代である。なんだか分からなくなる。

近頃は『利己的な遺伝子』なんていう考え方をちょろっとかじった人も多いから、DNAという言葉にだまされる。一応、学校でグアニン、アデニン、チミン、シトシンの4種類の塩基からなる二重らせん構造を持つなんてこともとりあえず知っている。でも実感なんかはないはずだ。

何の因果か料理人の手で一つの丼にまとめられて、強制的に養子縁組を成立させた親子にちがいない。そう自分を納得させて、ぼくは箸で親子丼を口に運ぶのである。

—MURAKAMI-TAKESHI-UP-TO-DATE————————————
近頃の本 『花男 全3巻』松本大洋(ビッグスピリッツコミックス)巨人の4番打者を夢見るお父さん花男と、優等生で世に冷めている息子茂雄のふれあいのお話


近頃の世 歳をとっても「孤児」の人たちが「肉親」を探している。
近頃の私 なんだかよくわからない。

 

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