There is no DARASHI だらしがないのは何がない?

ちょっと前なら、シャツの裾を出して表に出るのは「だらしがない」と言われたものだと思うのだが、この頃は出して歩いている人の方が多いので、民主主義の原則である多数決にのっとると、これが基本だということになる。でも、日本国憲法は「少数意見の尊重」もうたっているので、裾を出していない人に「何で出さねぇんだよぉ」とからんではいけない。

裾を出すのが何故、許容されるかというと、多分、それは「楽だから」である。裾がちゃんとおさまっているか気にする必要が生じないからであろう。常々、「美しいものはなんらかの緊張を保った状態にある。」という見解を持つ私であるが、「のほほんと暮らすのが良い」とも思っているので、楽なのは大歓迎である。

では、その私が何故に、めったに裾を出さないのか?それはどうも「おさまりが悪い」からである。「おさまりが悪い」などという表現が出るのは、つまり「どこかにおさまるはずのものだ。」という意識があるからである。

さて、ここで「だらしがない」と言われている「だらし」とは何か?気になるので愛用の横書き辞書『辞林21』を引く

だらし…物事のけじめがはっきりしていること。しまり。

ということは、「だらしがない」=「しまりがない」になるわけで、「しまり」というのは、なんらかの応力状態にあるということで、私の主張するところの、「美しい」=「なんらかの緊張を保っている」を補足してくれるものと思われる。才能に恵まれた人の場合は、余分な力を使うことなしに、「しまりのある」状態に入ることができる。

「ルーズ」と言う言葉は、「ゆるやかな」あるいは「しまりがない」という意味で使われるが、これの元の単語「loose」の発音は「ルース」である。濁点をつけることによって、だらしなさを強調したのか、それとも、不作法なとか、みだらなという意味の「rude」と混じったのか知らない。でも、何となくルースに着こなすのが、ストリート系の基本であるらしい。が、私は路上系であって、ストリート系ではない。

では,出されたシャツの裾がなぜ、「おさまりが悪い」のか、それは、シャツの裾のあの独特の形状のためである。そもそもあれは、あそこに、ボタンが付いていて、股の所で止めるための構造の名残なのだそうだ。現代のシャツはだから、パンツとシャツが一体になった構造の下着の子孫なのだ。下着でうろうろするのは恰好悪いのでネクタイやベストやジャケットが必要になるのだ。もっとも、多くの人は、そんなことお構いなしであるし、中には下着を見せるように着こなす人もいる。

私は体操部に属していたことがある。おかげで、某バランス栄養食のCMの女の子ほどには足は上がらないが、肩の高さくらいのY字バランスができる。しかし、私はめったにスカートははかないし、はいたとしても、私のパンチラを期待する人はいない。

件のCMはテレビで放映される分には、チラッとパンツが見えるのだが、駅や雑誌の広告に使われている分は見えなくなっている。このような広告を一般に流布するのは「ふしだら」とか「みだら」とかいう種類のものではないかと思わないでもない。「あられもない」とも言うかもしれんが、この単語はどうやら、空から降る霰や、お菓子のあられとは関係なく、「有られもない」という漢字で書くらしい。

女性解放運動家の人も、公衆の面前であんなに足を開放されては、「女性が商品化されてる」と怒るかもしれないし、一般男性はあのシチュエーションには理屈もなくドキドキしたりするものだと思われる。そんな邪な目にさらされる前に、回収してあげようかと一瞬思ったが、相手の数は多過ぎて手が回らない。それにこの広告だけ熱心に集めたのでは、こっちが変質者の疑いをもたれるかもしれないし、そこまでのリスクを背負う覚悟も義理もぼくにはないのである。

で、「ふしだら」って、ひょっとしたら、「不しだら」なんじゃなかろうか。と思ったのだが、こないだ読んでいた本で、「ふしだら」の「しだら」ってのは「だらし」の転語だという話が出ていてなるほどなと思った。(ほんとか?)

「ふしだら」にしても「みだら」にしても、いわゆる「だらだらしてる」にしても、どれも「だら」の2文字が入っている。こりゃ「だら」が怪しい。と思う私であるが、これ以上の追求をするためには、会社を辞めて、本職の「だら研究家」にならないとできないので、ここまでとしておく。

某商店街で、「子供にみだらな行為をする人を見かけたら、声をかけ、悪質な場合は110番通報しましょう」というような放送を聞いた。私に言わせりゃ「みだら」などという単語をみだりに放送するという行為事態にみだらな感じを受けるのである。それにしても、「みだら」と言う単語はひどくドロドロしているという感じを受ける気がする。

余談であるが、私はみたらし団子は大好きである。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本 『古典教養そこつ講座』夏目房之介(文春文庫)自称なりかけの文化人の教養としての古典入門挑戦記


当時の世 台風情報を見ようかと思ったら、「酒鬼薔薇聖斗(14)逮捕」をやっていた。
当時の私 せっかく台風も来て出掛けるのもなんなので、部屋を片付けようと思ったが、やはり、出てきた雑誌を読みだして終わらなかった。

 

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