A pair of ZOURIes ゾウリムシ

職場では靴をサンダルに履き替えて仕事をする人が多い。配属されて初めて職場に来た時は、「何でみんな、古代ギリシア人の彫刻みたいなサンダル履いてるんだ?」と思ったものである。上に羽織る服は支給されたけど、サンダルを配られた記憶はなかった。でも、昼休みに売店に行ったら、みなさんが履いているようなサンダルが売られていた。

と、一段落目で「サンダル」という言葉を連呼してみたが、如何せん、実はこの単語はどうもぼくの脳味噌に馴染みがよくないので、言ってて(書いてて)「あいうお」と言ってしまいそうな(本人は「えも言われぬ」と言いたいらしい)違和感を感じるのである。なぜなら、ぼくはあの手の履物のことを普段「つっかけ」と呼ぶからである。

『新明解国語辞典』によると

つっかけ[突(っ)掛(け)](つっかけぞうり)足のつまさきにつっかけて履く、手軽な履物[昔、職人が履いたものという。->サンダル] かぞえ方 一足

とある。

ぼくは小さいころ、「一足」というのが果して片側なのか、両側1組なのか悩んでいた。デカルト曰く「我思うにゆえに我あり」パスカル曰く「人間は考えるアシである」そして村上曰く「足2本分なのに一足とはこれいかに」念のためにフォローするがパスカルさんが言ったのは葦であって足ではない。しかし、どうも周りの人が話しているのを聞く限り、どうやら1組で一足というらしい。このままでは靴を一足買って来てとおつかいを頼まれたら、一組買ったらいいのか二組買ったらいいのか分からない。靴下もそうだ。女の人用のストッキングは二つで一足だけど、パンストになると一つなのに一足なのか?わからない。鳴呼。

中学生にならんとする頃のぼくは、取り合えず、大人の言い回しに順応して、一組を一足ということにしたのだが、中学校で習いはじめた英語のなかで、どうみても一つの眼鏡やハサミをa pair of glassesとか a pair of scissorsなどという。ズボンだってa pair of trousersである。靴は当然、a pair of shoes. 鳴呼。頭の中で言葉が渦巻いて倒れそうになるのはその頃からであった。

つっかけて履くってのはどういう状態かというと、辞書的には「むぞうさに」履く、とある。「楽に」とか「気取らずに」とか「だらしな系な」といった感じであろうか。形態的には多少、足と履物との一体感がうすく、爪先側でちょっとぶら下げた感じで、履物の底を多少擦り気味にして歩くような感じである。この頃はサンダルでなく、ちゃんとした靴なのにつっかけて歩く人が多い。ぼく自身、適切な足の振り出し方向が気になって、路上で歩き方を忘れて途方に暮れる時がある。

また逆に、サンダルやスリッパを履いているのに、颯爽と歩くのも考えものである。いや待てよ、サンダルやスリッパは西洋の履物だからいいか? しかし、つっかけや草履を履こうなんていう場合はちゃんとつっかけて歩かなくてはならない。それが文化というものだ。さて、ここでも積年の悩みが一つ。サンダルとスリッパはどう違うのか? 我思うに、ヒモ関係がゴチャゴチャしているのはサンダルだ。平べったいのはスリッパだ。サンダルはスリッパに比べると底がしっかりしているような気がする。スリッパはどうも上履きのような気もする。でも、草履はa pair of Japanese slippersと言いそうな気がする。

ゾウリムシというプランクトンがいるがあれのことを英語でslipper animalculeというそうだ。parameciumという立派そうな名前もあるのだが。果してこれが偶然の一致なのか。それとも単なる翻訳語なのか。あるいは日欧を問わず人の目には奴はスリッパ(草履)に見えたのか。そこまではぼくは知らない。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本 『ウルトラマンを創った男 金城哲夫の生涯』山田輝子(朝日文庫, 600円)『ウルトラマン』のシナリオライターの生涯。その人生の背景に読んでいて震えた。
当時の世 今でも『ウルトラマンダイナ』という新作がテレビで流れている。
当時の私 幸せ~って何だっけ何だっけ。ポン酢醤油はう~ちに~ない。

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