Barber (Issue of hair 3) バ~バモジャの憂鬱

わたしのクセ毛は父譲りである。パンチパ-マをあてなくてもパンチパ-マのようにチリチリ頭な父は、若いころ顎の骨を手術したあとが頬に残っているので、黙って睨むとヤのつく自由業のようである。「うちは牛乳屋~さんやからヤ~サンや」というボケを何度となく聞いた覚えがある。

若い頃はチリチリの髪がたくさんあって、散髪屋さんで梳いても梳いても、こんがらがっていたらしいが、この頃は歳をとって、いくらか頭頂部がフランシスコ・ザビエルである。色黒な父は酔うとそこが十円玉のように赤黒く光る。

私の母は、あまり頭髪が多くない。うちの実家の店の正面は中学校なのだが、そこの生徒に「おばちゃん、はげてんでぇ」と言われている。若いころ、多感かつ勝気だった母は、若白髪が多いのが嫌で、近所の散髪屋のおばちゃんに、「ほんなら、抜いたらエエねん」と言われて抜いてしまったために、それなりに歳をとった現在、毛母細胞の数が足りなくなったのである。

その母がこないだ冗談半分にか
「母の日か、誕生日かのプレゼントに、女性用アデランス買うて~」
と言っていた。女性雑誌や少女マンガなら、いくらか気合を乗せれば買える私であるが、女性用アデランスを買うなど…ランジェリー売り場に単身飛び込んで、お洒落な下着を手にレジに向かい、「プ、プレゼント用のラッピングしてください」と言うのと同じくらい抵抗がある…ので、実行には移していない。

私が実家に帰ると、母はちょっと前に買ったロング丈のTシャツを部屋着にしていた。これで白粉はたいて口紅して毛が三本ならオバQ一丁上がりなのだが、幸い、もう少し毛はあるし、普段はすっぴんなので、伸びた横の髪をアップにして、てっぺんを隠し、ロングTシャツを着た姿はオバQというよりもバ~バママであった。

そして、バ~バママの息子であるところの私は、ここ数カ月髪を切ってないので、さながらバ~バモジャの様相を呈しており、バ~バママから「毛先だけでもカットしてきなさい」とバーバーに行く指令を受けたのである(ベタやね)。それにしても、バ~バモジャ。彼だけバ~バファミリーの中で容貌が違うのである。おそらく、物心ついた頃、「ひょっとして、ぼくは橋の下で拾われたのでは? 」という疑念をいだいたであろう。

実家にいた頃なじみであった散髪屋に行くと、そこのにいさんは、「かれこれ、3年は切ってないわぁ」と尾長鳥のような長髪を後ろで結わえていた。「自分、髪の毛固いし、まだ多いし癖ッ毛やしなぁ。朝なんか爆発してるやろ。」「自分」というのは関西地方でしばしば用いられる二人称の代名詞である。

前にも述べたことがあるが、私は散髪屋のsmall talkが苦手である。このにいさんもお喋りなのだが、small talker とうより蘊蓄垂雄さんなので、興味のあるネタの時は、結構話を合わせる。

「髪が一ヵ月で1cm伸びたとしよや。そしたら、一年で12cmや。髪の寿命は5、6年やから、伸びても70cmくらいやな。」「そしたら、せいぜい腰までやねぇ。ほんなら、平安時代の絵巻なんかの女御さんとかの、あの床ひきずるみたいな長髪は付け毛ですのん? 」「途中で白い紙みたいなんで結わえてるやろ。あの辺りが怪しいな。あそこで継いでるな。確実に。」

髪が抜ける時、長さ単位では抜けない。必ず本単位である。髪の毛一本当たりの長さが長くなると、1回あたりに抜ける量は増える。こないだ部屋の掃除をしていたら、本棚の後ろから綿埃ではなく、セーターに出来る毛玉でもなく、正真正銘の髪の毛の巨大な毛玉が出てきた。元は自分の毛であるのは確かだが、なにか怖いものを感じた。古来、髪の毛には祈りやら呪いやらが宿ると聞くが、なるほどそうかもしれんと思った。とりあえず、なるべくまめに、コロコロローラーを出動させて掃除しようと毛玉に誓う私であった。

—MURAKAMI-TAKESHI-IN-THOSE-DAYS————————————
当時の本 『たけしの死ぬための生き方』ビートたけし(新潮文庫, 400円)別に生き方を学ぼうとは思わないけど、とりあえず、たけしがたけしの真似をしてもしかたないので、スクーターの飲酒運転は控えることにした。


当時の世 空は秋のようだ。
当時の私 バ~バモジャのようだ。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です