片付けレル?

私は片付けが苦手だ。苦手だというよりは、やらない、気にしないと言った方が正しいかもしれない。

どうして気にしないかというと、困っていないからである。

 

確かに、時々、「あれ?アレ、どこに仕舞ったっけ?」みたいな自体は起こるが、その感覚が間違いなのであって、そもそも、仕舞ってはいないのである。たまに一念発起して片付けようものなら、それは見えなくなったのであって、片付いたのではないという状況を生み出すだけである。

 

つまり、せいぜい、「あれ?アレ、どこに置いたっけ?」くらいなもので、百舌鳥の早贄や、猫のお土産みたいなものである。

なんで、モズは二文字なのに漢字で書くと、百舌鳥なんだ?

そう、こんな感じで気が散ってしまうのも原因だと思われる。

 

幼い頃、親に「ちゅういりょくさんまん」と言われて、「ほぅ、私は注意力が30,000もあるのか」と思ったのだが、しばらくして「注意力散漫」と言われていることを知った。

 

みなさんは、子どもの頃に、親に部屋を勝手に片付けられて「必要なものの場所は分かってるのに!」とか「勝手に片付けないでよ!」と憤った経験はないだろうか。実際は、全部のものの位置は憶えているわけないし、勝手に片付けてくれるのはある意味ありがたい(ホントにモノの場所が見事に分からなくはなるが)、見つかったら困るエッチな本を隠しているわけでもない(見つかっても、ただそれだけである)。

 

キョロキョロと余所見ばかりしているわけではない。どちらかいうと、目の前のものに集中して周りは見えていないことが多い。別に視野狭窄ではない。通常の人でも、平たい顔に両目がついてるので左右方向で180度ちょい、目に入るという意味では視界はあるが、実際に注意して見える範囲は限られているに違いない。相手が動いたらなおさらだ。

視野狭窄ではない。視界の中で注目してしまったものがどうにも気になってしまうのである。

 

片付けのエキスパートならいざ知らず、誰もがあるはずだ。片付けしている途中で発掘してしまったものを、マジマジと眺めてしまい、片付けが捗らないまま、時間だけが過ぎていったことが…

 

初めに書いたが、自分の推測と理解では、おそらく、日常、ほぼ、困らないからである。

同居人やペットがいるわけでなく、友人や恋人を部屋に招くわけでもなく、普段の生活で必要なものは、およそ、部屋の中の自分の動線のそばに転がっていて、見つからなくても執拗に探すことなく「ま、いいか」となってしまうからだ。

 

それでも、片付けが必要であるのならば、その理由や利点を誰か私に説いて聞かせる必要がある。

 

世間では、「心が安定する」「お金がたまるようになる」とか書いて片付けを勧める本で儲けようという人々がごまんといる。

 

そうだ。「ごまんといる」というのも、そのカテに属する人口が50,000人いると思っていたのだが、実は未だに分からない。ググってみると「たくさんいること」とか「巨万の呉音読みの名残」なんてのが出てくる。「五万の富」ではあんまり豊かな気がしない。

 

長くなるので、片付けの動機づけ、理由、メリット、そして、そのやり方について、おいおい調べていきたいと思う。

 

私の場合、片付けの前に、まず、掃除、ゴミ捨てについて学んだ方が良いかもしれない。

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